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大和商業研究所
2023年3月26日読了時間: 2分
石門心学風土記 第40回 備中の国 敬明舎
岡山における心学講舎は十舎 岡山県(備前・備中・美作)は、心学が栄えた地だ。県別舎数は十舎、全国第六位にランクされる。うち備中には四舎があった。教睦舎(高沼村)・敬明舎(連島村)・自省舎(倉敷村)・由学舎(船穂村)で、現在は市町村合併により、いずれも倉敷市になった。うち三舎...
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2023年3月2日読了時間: 3分
石門心学風土記 第39回 山城の国 鳥辺山・梅岩と門弟たちの墓碑
墓参者が絶えない石田梅岩墓碑 倉本長治(商業界創設者)は熱心な心学信奉者で、昭和年間に石門心学を各地の商業者に弘布する役割を担った。彼の著書『石田梅岩ノート』(商業界)には、梅岩の墓を探した苦心譚の後に、墓参の様子が載っている。「在京の石門心学のゆかりの人々が詣でたのであろ...
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2023年1月25日読了時間: 2分
石門心学風土記 第38回 播磨の国 孝徳舎
孝徳舎(姫路市)の子孫が心学明誠舎で学ぶ 大阪の心学明誠舎の舎員に飯塚修三氏が居る。彼は姫路の「孝徳舎」の現舎主である。西宮市で眼科医を開業中。私の主宰する「大和梅岩力講座」に何回か参加されるほか、多くの「古文書」を所蔵されるなど熱心な郷土史家だ。...
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2022年9月20日読了時間: 2分
石門心学風土記 第37回 美濃の国 切問舎
この度(2018年2月)の美濃の視察調査では、岐阜市・正法寺の亀山恭長舎主(満徳舎、各務郡芥見村、明治13年創立)の墓に詣でた。ここ岐阜大仏で著名である。梅岩先生の師・了雲と同じ黄檗宗であり、小林孝道住職の奥様から詳しく案内を頂いた。...
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2022年7月28日読了時間: 3分
石門心学風土記 第36回 大和の国 中村直三と実行舎
早くから心学が栄えた大和 大和の国は、手島堵庵の統率の下に早くから心学が普及した。京・大阪の影響を受け、近江・丹波と鼎立する重要な心学国であった。舎数は七舎で、国別七位、県別で八位と上位だ。 天明・寛政期に篤敬舎(宇陀市)、正誠舎(橿原市)、思明舎(天理市)、本立舎(天理市...
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2022年7月27日読了時間: 2分
石門心学風土記 第35回 信濃の国 時中舎
時中舎を開祖の「自謙」さま 信濃の国に心学舎は十二舎あった。摂津・播磨に次いで舎数は国別で三番目に多い。その理由は、植松自謙(現富士見町、1750~1810)、中村習輔(現千曲市、1731~1816)の二人の秀逸な講師が出たからである。自謙は、中澤道二の跡を継いで、江戸・参...
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2022年7月25日読了時間: 3分
石門心学風土記 第34回 長門の国 吉田松陰と石門心学
松陰、幼少期に奥田頼杖の心学道話を聴く 天保六年(一八三五)の夏、萩の城下は奥田先生(清水注:広島の奥田頼杖、著名な心学講師)の来講というのが大評判となって、毎日毎夜「日章舎」は聴衆戸外に溢るるばかり。中に年齢僅かに五、六才位の眉目秀麗な一少年が毎講早くから来て、熱心に講義...
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2022年7月22日読了時間: 2分
石門心学風土記 第33回 越後の国 越後騒動と小栗了雲の運命
将軍・徳川綱吉の誤裁定で越後高田藩は改易、小栗美作父子切腹 文献には「了雲の父正宗、大宗美作の事に座す」とある。美作とは越後高田藩の筆頭家老・小栗美作。「越後騒動」の首謀者とされた。 この騒動は藩主・松平光長の後継を巡る長い争いの末の悲劇であった。光長に実子はなく、後継を光...
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2022年7月22日読了時間: 3分
石門心学風土記 第32回 山城の国 了雲と梅岩の邂逅と切り結び
石田梅岩は小栗了雲の峻烈な指導の下に独自の道を拓き私塾を開講する。京都市中での講話及び『都鄙問答』出版で多くの門人を育てた。その源流は了雲の儒仏理解と胆力にあった。 梅岩の未熟さを徹底して指摘する了雲師 書物によると了雲の略歴は以下の通り。「故あって京都に隠れ居た、黄檗宗の...
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2022年7月20日読了時間: 2分
石門心学風土記 第31回 山城の国 修正舎
心学全国展開の中心・三舎の一つ 修正舎は、心学舎設立の認可権を持つ心学三舎(明倫舎、時習舎)の一つであり、心学全国展開の教化活動の中心を担った。江戸時代、各地に心学講舎が設立されていったが、この三舎の印鑑(三舎印)が公認のあかしであった。...
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2022年7月10日読了時間: 2分
石門心学風土記 第30回 大和の国 求仁舎
「蔵の二階に添付のような机が見つかりました。かなり貧弱な作りですが、中から木版が見つかりましたので、信憑性は高いと思います。右下署名のあたりに[求仁舎]とあります」 奈良県御所市(ごせし)在住、求仁舎の都講のご子孫からメールをいただいた。 幕末、岡本孝道の支援で求仁舎が創設...
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2022年7月6日読了時間: 2分
石門心学風土記 丹波の国 第29回 傳習舎
京都以外で最も早く設立された傳習舎 傳習舎は丹波国氷上郡黒井(現丹波市春日町)に在った。春日局(徳川家光乳母)はここの出で興禅寺(後述)が出生地と伝えられる。 丹波と京都は隣国であり、心学の教えがいち早く伝わった。『諸国舎号』では六番目に傳習舎が載る。五番までが京都市内であ...
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2022年7月5日読了時間: 3分
石門心学風土記 第28回 近江の国 慈音尼の生涯~ダイバーシティの先駆けを為す~
女性にも論語・孟子を講義した石田梅岩先生 享保十四年(1729)、石田梅岩先生は京都・上京の一角にて私塾を開講。その際に「女中方は奥へお通りなさるべく候」と門口に掛け行燈を掲げ、奥の一室を女性専用として男の部屋とは簾を隔てて、同じ講義を聴かせたのであった。この時代に女性に経...
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2022年7月3日読了時間: 2分
石門心学風土記 第27回 丹波の国 梅岩先生生誕地・氏神の春日神社・菩提寺の春現寺に詣でる
「先生故郷へ行き給うにはかならず宅(京都)にて沐浴し出で給う。道の程七里ばかりの所なるが(中略)、故郷に至りては、先づ氏神に参詣し、次に父母の墓に参りて後、宅(生家)に着し給えり」(『石田先生事蹟』より) 石田梅岩先生の故郷を訪ねて~春日神社にて...
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2022年6月30日読了時間: 2分
石門心学風土記 第26回 山城の国 明倫舎
江戸期心学講舎の大本山として 江戸時代、全国心学舎の頂点は、この明倫舎であった。現在もなお、一般社団法人心学明倫舎(柴田なほ子舎主)として、心学関係の貴重な蔵書類を保有・管理している。 心学舎は五楽舎(創設1765年)に次いで設立された修正舎(同1773年)、時習舎(同17...
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2022年6月8日読了時間: 2分
石門心学風土記 第25回 常陸の国 有隣舎・尽心舎
江戸時代、茨城県には心学舎は六舎あった。有隣舎(筑西市)、尽心舎(つくば市)、三省舎(水戸市)、孝友舎(常陸太田市)、孝準舎(土浦市)、敬親舎(常総市)である。うち敬親舎は下総国であるが、ほかは常陸国である。( )内は現行政市。うち有隣舎と尽心舎を訪ねた。...
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2022年5月9日読了時間: 2分
石門心学風土記 第24回 摂津の国 明誠舎
大丸は義商なり 1837(天保8年)、大塩平八郎の乱に際し、利を優先させていた富豪や大商人はことごとく焼き討ちにあったのに対し、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と心斎橋大丸は焼き討ちを免れた。 その心斎橋店のすぐ北側に明誠舎があった。昨年の明誠舎主催の街歩き「明誠舎巡り」の前...
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2022年3月14日読了時間: 2分
石門心学風土記 第23回 美濃の国 深造舎
心学が繁栄した美濃を訪ねる 全国で美濃は心学が栄えた地の一つである。182舎中、11舎あって、国別(美濃)、県別(岐阜)ともに5位である。ようやく念願が叶い、私も美濃の地を訪ねることができた。 この国の舎の内訳は、大垣市に深造舎、山県市に切問舎、大野町に擇善舎、岐阜市に逢原...
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2022年3月14日読了時間: 2分
石門心学風土記 第22回 但馬の国 養浩舎
心学舎の建物・貴重な資料が残る 兵庫県豊岡市に養浩舎・田井家を訪問した。紹介頂いた潮崎誠氏(前豊岡市立出土文化財管理センター所長)も同席された。 築後二百年の母屋に、心学「養浩舎の部屋」も在り、扁額・軸・多数の古文書類が残る。とりわけ養浩舎創始の田井惣助の手になる『家事日録...
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2021年9月15日読了時間: 3分
石門心学風土記 第21回 丹波の国 石田梅岩先生ご生家
この夏も石田梅岩先生のご生家を訪問。石田二郎当主(八十八歳)にお元気でお迎え頂いた。この地に立つと、先生の心願を思い起こさずにはいられない。 石田梅岩先生の生い立ち~大志を育む~ 先祖は亀岡を治めていた石田氏の家臣曾和市郎兵衛。この地の支配を狙った明智光秀の陰謀で、石田氏の...
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