​心学舎のひろがり

あなたの街にも心学講舎
「日本全国には心学舎が数多くありました。現在、どのような形で遺されているか。現地調査や残されている資料よりまとめた話をこちらに掲載しています
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▶︎心学舎は幾つあったか

 江戸時代、心学講舎は京都の明倫舎、修正舎、時習舎の三舎の総意の元に正式に創設が認可された。そしてその証左として、舎号が与えられ、梅岩先生・堵庵先生の直筆書(後年は石刻)、舎号を記載した明倫舎主の書、講舎利用心得等諸規則が与えられた。その数が幾つあったかについては、定説はない。  

 

 最も権威があるものは、京都の明倫舎より何回も発行されている『諸国舎号』であろう。その最終版には百七十舎の名前が掲載されている。最終行が慶応元年(一八六五年)創設の謹身舎(美濃)となっている。

 

 石川謙著『石門心学史の研究』の索引には百八十一舎が掲載されている。私はこの両書に各地の資料を加味し、次の百八十二舎を現時点での確定舎数とした。  

 

 尚、百八十二舎と石川謙の百八十一舎との違いは、会友舎(美濃)、双松舎(紀伊)を加え、尊性舎(阿波)を減じた。また、齊円舎(美濃)は富円舎、教恭舎(摂津)は協恭舎の誤り。会友舎(美濃)は明治以後の活動であるが富円舎と共に、両舎の子孫が現在も多治見市の石心参禅蔵で資料を展示中。双松舎は名倉での活動記載があり、現在も舎を公開中であるという理由で両舎を加え、尊性舎(阿波)は性善舎の前身名であるので減じた。よって百八十二舎として国別の舎数地図を作成した。