石田梅岩魂を現代に

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    石門心学風土記 第36回 大和の国 中村直三と実行舎
    大和商業研究所
    • 7月28日
    • 3 分

    石門心学風土記 第36回 大和の国 中村直三と実行舎

    早くから心学が栄えた大和 大和の国は、手島堵庵の統率の下に早くから心学が普及した。京・大阪の影響を受け、近江・丹波と鼎立する重要な心学国であった。舎数は七舎で、国別七位、県別で八位と上位だ。 天明・寛政期に篤敬舎(宇陀市)、正誠舎(橿原市)、思明舎(天理市)、本立舎(天理市...
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    石門心学風土記 第35回 信濃の国 時中舎
    大和商業研究所
    • 7月27日
    • 2 分

    石門心学風土記 第35回 信濃の国 時中舎

    時中舎を開祖の「自謙」さま 信濃の国に心学舎は十二舎あった。摂津・播磨に次いで舎数は国別で三番目に多い。その理由は、植松自謙(現富士見町、1750~1810)、中村習輔(現千曲市、1731~1816)の二人の秀逸な講師が出たからである。自謙は、中澤道二の跡を継いで、江戸・参...
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    石門心学風土記 第34回 長門の国 吉田松陰と石門心学
    大和商業研究所
    • 7月25日
    • 3 分

    石門心学風土記 第34回 長門の国 吉田松陰と石門心学

    松陰、幼少期に奥田頼杖の心学道話を聴く 天保六年(一八三五)の夏、萩の城下は奥田先生(清水注:広島の奥田頼杖、著名な心学講師)の来講というのが大評判となって、毎日毎夜「日章舎」は聴衆戸外に溢るるばかり。中に年齢僅かに五、六才位の眉目秀麗な一少年が毎講早くから来て、熱心に講義...
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    石門心学風土記 第33回 越後の国 越後騒動と小栗了雲の運命
    大和商業研究所
    • 7月22日
    • 2 分

    石門心学風土記 第33回 越後の国 越後騒動と小栗了雲の運命

    将軍・徳川綱吉の誤裁定で越後高田藩は改易、小栗美作父子切腹 文献には「了雲の父正宗、大宗美作の事に座す」とある。美作とは越後高田藩の筆頭家老・小栗美作。「越後騒動」の首謀者とされた。 この騒動は藩主・松平光長の後継を巡る長い争いの末の悲劇であった。光長に実子はなく、後継を光...
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    石門心学風土記 第32回 山城の国 了雲と梅岩の邂逅と切り結び
    大和商業研究所
    • 7月22日
    • 3 分

    石門心学風土記 第32回 山城の国 了雲と梅岩の邂逅と切り結び

    石田梅岩は小栗了雲の峻烈な指導の下に独自の道を拓き私塾を開講する。京都市中での講話及び『都鄙問答』出版で多くの門人を育てた。その源流は了雲の儒仏理解と胆力にあった。 梅岩の未熟さを徹底して指摘する了雲師 書物によると了雲の略歴は以下の通り。「故あって京都に隠れ居た、黄檗宗の...
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    石門心学風土記 第31回 山城の国 修正舎
    大和商業研究所
    • 7月20日
    • 2 分

    石門心学風土記 第31回 山城の国 修正舎

    心学全国展開の中心・三舎の一つ 修正舎は、心学舎設立の認可権を持つ心学三舎(明倫舎、時習舎)の一つであり、心学全国展開の教化活動の中心を担った。江戸時代、各地に心学講舎が設立されていったが、この三舎の印鑑(三舎印)が公認のあかしであった。...
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    2022年7月度 石田梅岩・石門心学講座ご案内
    大和商業研究所
    • 7月14日
    • 1 分

    2022年7月度 石田梅岩・石門心学講座ご案内

    目まぐるしく変化する自然・社会・経済環境ですが、石門心学にて不易流行を学んで参りましょう。 ◆Web松柏舎(通算28講・ZOOM) 前月に続き『続々鳩翁道話(一之上)』を読みます。 『中庸』の教えを踏まえて、今月は心の大掃除です。自身の天命を受け止め、道を修める。...
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    石門心学風土記 第30回 大和の国 求仁舎
    大和商業研究所
    • 7月10日
    • 2 分

    石門心学風土記 第30回 大和の国 求仁舎

    「蔵の二階に添付のような机が見つかりました。かなり貧弱な作りですが、中から木版が見つかりましたので、信憑性は高いと思います。右下署名のあたりに[求仁舎]とあります」 奈良県御所市(ごせし)在住、求仁舎の都講のご子孫からメールをいただいた。 幕末、岡本孝道の支援で求仁舎が創設...
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    石門心学風土記 丹波の国 第29回 傳習舎
    大和商業研究所
    • 7月6日
    • 2 分

    石門心学風土記 丹波の国 第29回 傳習舎

    京都以外で最も早く設立された傳習舎 傳習舎は丹波国氷上郡黒井(現丹波市春日町)に在った。春日局(徳川家光乳母)はここの出で興禅寺(後述)が出生地と伝えられる。 丹波と京都は隣国であり、心学の教えがいち早く伝わった。『諸国舎号』では六番目に傳習舎が載る。五番までが京都市内であ...
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    石門心学風土記 第28回 近江の国 慈音尼の生涯~ダイバーシティの先駆けを為す~
    大和商業研究所
    • 7月5日
    • 3 分

    石門心学風土記 第28回 近江の国 慈音尼の生涯~ダイバーシティの先駆けを為す~

    女性にも論語・孟子を講義した石田梅岩先生 享保十四年(1729)、石田梅岩先生は京都・上京の一角にて私塾を開講。その際に「女中方は奥へお通りなさるべく候」と門口に掛け行燈を掲げ、奥の一室を女性専用として男の部屋とは簾を隔てて、同じ講義を聴かせたのであった。この時代に女性に経...
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    石門心学風土記 第27回 丹波の国 梅岩先生生誕地・氏神の春日神社・菩提寺の春現寺に詣でる
    大和商業研究所
    • 7月3日
    • 2 分

    石門心学風土記 第27回 丹波の国 梅岩先生生誕地・氏神の春日神社・菩提寺の春現寺に詣でる

    「先生故郷へ行き給うにはかならず宅(京都)にて沐浴し出で給う。道の程七里ばかりの所なるが(中略)、故郷に至りては、先づ氏神に参詣し、次に父母の墓に参りて後、宅(生家)に着し給えり」(『石田先生事蹟』より) 石田梅岩先生の故郷を訪ねて~春日神社にて...
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    石門心学風土記 第26回 山城の国 明倫舎
    大和商業研究所
    • 6月30日
    • 2 分

    石門心学風土記 第26回 山城の国 明倫舎

    江戸期心学講舎の大本山として 江戸時代、全国心学舎の頂点は、この明倫舎であった。現在もなお、一般社団法人心学明倫舎(柴田なほ子舎主)として、心学関係の貴重な蔵書類を保有・管理している。 心学舎は五楽舎(創設1765年)に次いで設立された修正舎(同1773年)、時習舎(同17...
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    『先哲・石田梅岩の世界』49 「文字芸者」「文書箱」
    大和商業研究所
    • 6月8日
    • 2 分

    『先哲・石田梅岩の世界』49 「文字芸者」「文書箱」

    【意訳】書物を読んで、書物の心をつかまなければ学問とは言えません。聖人の書物には聖人の心が籠っています。しかし文字のみを追っているのでは、一芸しか知らないから「文字芸者」と呼びます。 【原文】書を読みて、書の心を知らざれば学問とはいわず。聖人の書は自ら心を含めたまう。その心...
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    石門心学風土記 第25回 常陸の国 有隣舎・尽心舎
    大和商業研究所
    • 6月8日
    • 2 分

    石門心学風土記 第25回 常陸の国 有隣舎・尽心舎

    江戸時代、茨城県には心学舎は六舎あった。有隣舎(筑西市)、尽心舎(つくば市)、三省舎(水戸市)、孝友舎(常陸太田市)、孝準舎(土浦市)、敬親舎(常総市)である。うち敬親舎は下総国であるが、ほかは常陸国である。( )内は現行政市。うち有隣舎と尽心舎を訪ねた。...
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    『先哲・石田梅岩の世界』50 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の主(あるじ)は何者か
    大和商業研究所
    • 5月9日
    • 2 分

    『先哲・石田梅岩の世界』50 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の主(あるじ)は何者か

    【意訳】いまここで見たり聞いたりする上での主人は誰ですか。行くものは何者か、住むものは何者か、座るものは何者か、寝るものは何者かと、急ぎ眼をつけて見る。このように、油断なく、何年もかけて徳を積みます。ついには見聞、覚知、行住、坐臥をなす主人を見つけることができます。これが自...
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    石門心学風土記 第24回 摂津の国 明誠舎
    大和商業研究所
    • 5月9日
    • 2 分

    石門心学風土記 第24回 摂津の国 明誠舎

    大丸は義商なり 1837(天保8年)、大塩平八郎の乱に際し、利を優先させていた富豪や大商人はことごとく焼き討ちにあったのに対し、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と心斎橋大丸は焼き討ちを免れた。 その心斎橋店のすぐ北側に明誠舎があった。昨年の明誠舎主催の街歩き「明誠舎巡り」の前...
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    行状をもって導く『先哲・石田梅岩の世界50』
    大和商業研究所
    • 3月14日
    • 2 分

    行状をもって導く『先哲・石田梅岩の世界50』

    【意訳】行藤氏(ゆきふじうじ)は質問しました。先生は門人を指導するのに、心を中心に教えられるのですか。先生は「そうではない。行い・実践をもって教えます」と答えました。 【原文】行藤氏問う。先生門人を教え導かるるは、心を専らとして教えらるるや。先生答えていわく、しからず行状(...
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    2022年3月度 Web松柏舎、松柏舎のご案内
    大和商業研究所
    • 3月14日
    • 2 分

    2022年3月度 Web松柏舎、松柏舎のご案内

    陽春の入口。「柳は緑、花は紅」の季節になって参ります。3月は新たな旅立ちの準備。大きな希望と少しの不安をもって歩き出すとき。 石田梅岩先生は、師・了雲との永遠の別れに際し、「われ事に当たらば新たに述べるなり」と語り、私塾開講の決意を表明。師はそれを褒め讃えたそうです。...
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    石門心学風土記 第23回 美濃の国 深造舎
    大和商業研究所
    • 3月14日
    • 2 分

    石門心学風土記 第23回 美濃の国 深造舎

    心学が繁栄した美濃を訪ねる 全国で美濃は心学が栄えた地の一つである。182舎中、11舎あって、国別(美濃)、県別(岐阜)ともに5位である。ようやく念願が叶い、私も美濃の地を訪ねることができた。 この国の舎の内訳は、大垣市に深造舎、山県市に切問舎、大野町に擇善舎、岐阜市に逢原...
    閲覧数:21回0件のコメント
    石門心学風土記 第22回 但馬の国 養浩舎
    大和商業研究所
    • 3月14日
    • 2 分

    石門心学風土記 第22回 但馬の国 養浩舎

    心学舎の建物・貴重な資料が残る 兵庫県豊岡市に養浩舎・田井家を訪問した。紹介頂いた潮崎誠氏(前豊岡市立出土文化財管理センター所長)も同席された。 築後二百年の母屋に、心学「養浩舎の部屋」も在り、扁額・軸・多数の古文書類が残る。とりわけ養浩舎創始の田井惣助の手になる『家事日録...
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    石田梅岩魂を現代に

    このサイト「石田梅岩魂を現代に」は石田梅岩に関する情報を自分のビジネスに活用して頂くために大和商業研究所が提供しています。このホームページで梅岩の真髄に触れ、自身の中に有する潜在的な力を引き出していただくことが「梅岩力」の意味するところです。

    「永続的に栄える」とは

    石田梅岩先生の願いはただ一つ。

    人も組織も永続的に栄えること。

    その為には偉人・聖人に学べ

    ということです。

    ​

    先生の著書『都鄙問答』『斉家論』で、

    その思いが各所に出てきます。

    一例

    「商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡ぼす。商人の道を知れば、欲心を離れて仁心を以って勉め道に合(かの)うて栄えるを学問の徳とす」

    (都鄙問答)

    メールはこちらまで

    yamato358*hotmail.co.jp
    (*を@に変えてください)

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