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  • 執筆者の写真大和商業研究所

石門心学風土記 第27回 丹波の国 梅岩先生生誕地・氏神の春日神社・菩提寺の春現寺に詣でる

「先生故郷へ行き給うにはかならず宅(京都)にて沐浴し出で給う。道の程七里ばかりの所なるが(中略)、故郷に至りては、先づ氏神に参詣し、次に父母の墓に参りて後、宅(生家)に着し給えり」(『石田先生事蹟』より)

石田梅岩先生の故郷を訪ねて~春日神社にて

二〇二〇年十月三十一日、心学明誠舎主催「亀岡生誕地墓参と『石田先生事蹟』を読む会」を二十名で開催。事蹟に倣い、石田家の氏神である「春日神社」に、齋藤吉雄宮司(西山神社)の先導で参拝した。

「春日神社」の御祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)と応神天皇である。天保十三年(一五五〇)、領主石田長保のときに高槻藩に属し御免地(地租免除)となる。なお長保は前月風土記で梅岩先生のご先祖、曽和市郎兵衛が仕えた領主と記した。春現寺の隣にあった八幡宮は明治四十三年(一九一〇)、春日神社本殿に合祀された。

 石段を上ると中段に石の鳥居、更に十数段で拝殿に至る。御本殿は古色を帯び、覆屋で保護されている。先生の氏神信仰の篤さに思いを馳せる。

生誕地墓参、春現寺にてお位牌に合掌

 そこから1.5キロほど北に進むと、先生の生誕地である。一同、山裾のお墓に手を合わせる。ただ「石田勘平」とだけ刻まれ、先祖と同形で同じ大きさだ。静謐な空気に包まれている。ここに帰れば先生も昔の勘平に戻り、幼少期からの感懐に浸っていたことだろう。手島堵庵作成の絵図(写真参照)に、山間に田地と生家・八幡宮・春現寺ともう一軒が載るのみである。

 次に歩いてすぐの春現寺(曹洞宗)にて満林晃典住職に迎えられる。先生は幼少期からここが遊び場であり、門前の小僧として座禅や法話にも接し得たであろう。一同、般若心経を読み、位牌「一徹梅岩居士」に合掌し焼香を済ませる。住職からの寺の略伝を拝聴する。地名「別院」は仁和寺(真言宗)の別院である弥勒寺があったことから名付けられた。春現寺はもともと浄土宗であったが、春現(梅岩先生の五代前の先祖)の代に、永平寺より住職を迎え曹洞宗になり、今日に至っている。梅岩先生が生まれた年に作成の涅槃図が残っている。生前戒名を授けた記念の絵図である。

住職の法話の後、私から『石田先生事蹟』を取り入れた「石田先生の生涯」を語った。最後に、参加者一同の感想を聞く。ご生誕地における自然環境、山、杉、蓮、苔、栗を拾った話、寺・神社・お墓の持つ宗教観、美しさ、神儒仏の学び、宇宙の摂理など、各自思い至ったことを話された。

新暦での命日は十月二十九日。先生が旅立たれたと同じ季節の空気感を味わい、得も言われぬ感動に満たされた一日であった。


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