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石門心学風土記 第20回 播磨の国 思誠舎
播磨の国は心学舎数が十四舎と全国で最も多い。数の上で何故これほど播州に心学が栄えたのか謎である。 天保期に創設、明治まで舎の活動が続く 天保4年(1833)、城下に柴田鳩翁、遊翁が来講。同末年に思誠舎が成る。『諸国舎号』では143番目、修安舎(尾道市、天保14年開設)の次に...
大和商業研究所
2021年4月8日読了時間: 2分
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石門心学風土記 第19回 渡島の国 誠終舎
函館に西川晩翠の指導のもと心学が開花 函館に心学舎の墓があると聞いて、まず称名寺を訪ねた。ここは正保元(1644)年創設の名刹で、高田屋嘉兵衛の墓、土方歳三ら新選組の慰霊碑がある。 函館における心学指導者は、江戸住まいの西川晩翠(元鳥取藩士)。西川を招いたのは名主頭取の松代...
大和商業研究所
2021年3月9日読了時間: 2分
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石門心学風土記 第18回 備前の国 博習舎
岡山県瀬戸内市に「石田梅岩先生之碑」在り 京都から遠く離れた旧邑久町長船町服部に何故、石田梅岩先生の碑が残されているのか。全国で石田梅岩先生の碑を建てているところは、京都・大阪以外では聞いたことがない。 ここ備前の地には「博習舎」があった。心学のご聖地である京都から、摂津・...
大和商業研究所
2021年1月22日読了時間: 2分
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石門心学風土記 第17回 信濃の国 有敬舎
信濃には12舎、中村習輔・植松自謙が広布 信濃の心学講舎は12舎あった。これを超えるのは播磨と摂津(各14舎)のみ。京都から遠く離れた信濃の舎数の多さは、二人の偉人、中村習輔(1732~1816)・植松自謙(1750~1810)の恩徳に依るところが大だ。...
大和商業研究所
2020年12月29日読了時間: 2分
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石門心学風土記 第16回 近江の国 好善舎
子孫へ書き残した心学道歌 とがむべき 我が身のうえは おこたりて 人のことのみ おもう愚かさ この歌が意味する内容は、多かれ少なかれ、誰にも思い当たる耳の痛い指摘ではないだろうか。近江の心学者、小島伝兵衛が六十歳を前に詠んだ「子孫教訓」の道歌である。...
大和商業研究所
2020年11月25日読了時間: 2分
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石門心学風土記 第15回 淡路の国 大洋舎
国生みの地・淡路に心学「大洋舎」が設立 古事記では淡路島が最初に生まれたとある。その淡路に石門心学の大洋舎があった。 創設者は高村悠斎。「通称、米屋宗平衛、號は悠齋、字は謙光。上河淇水の門に入って琢磨を積ね、遂に当代一流の心学者と称せられまでになって帰国。教化を郷土の四方に...
大和商業研究所
2020年10月1日読了時間: 3分
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心学風土記 第14回 長門の国 日章舎
「日章舎」の舎号由来は『中庸』から 石門心学舎は『諸国舎号』に170舎が掲載されている。舎号名の上二文字は、中国古典を典拠として京都・明倫舎から与えられる。 萩に文政10年(1827)設立の「日章舎」は『中庸』33章からと推定される。「君子之道、闇然而日章、小人之道、的然而...
大和商業研究所
2020年5月25日読了時間: 2分
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心学風土記 第13回 武蔵の国 参前舎
江戸・参前舎により武士階級に心学が広まる 中沢道二略伝(1725-1803) 中沢道二は江戸に参前舎を設け、石門心学の武士階級への弘布に多大な功績を残した。道二は商業者として刻苦修行を重ねる中で心学に出会い、江戸に梅岩哲学を拓く開祖者となり、武士階級を巻き込んだ功は堵庵に匹...
大和商業研究所
2020年5月3日読了時間: 3分
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心学風土記 第12回 伊予の国 六行舎
伊予・松山にて江戸後期、心学講師・六行舎主として名を馳せた近藤平格(へいかく、名洲)の四代目子孫、近藤元規(もとのり)氏を訪ねた。平格の肖像画や、夏目漱石の俳句を拝見。正岡子規や秋山好古らと、ご先祖の交流の様子を伺った。松山は正に偉人の宝庫である。...
大和商業研究所
2020年4月29日読了時間: 2分
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心学風土記 第11回 伊賀の国 麗澤舎・有誠舎
伊賀は忍者の町であり、芭蕉翁の生誕地として著名である。昨秋には、上野天神祭のだんじり行事がユネスコ無形文化遺産に登録された。 その伊賀に心学舎は二舎あった。柘植の「麗澤舎」は農家中心に、上野城下の「有誠舎」は藩士を中心に、有為の人材が集った。...
大和商業研究所
2020年2月28日読了時間: 2分
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石門心学風土記 第10回 美濃の国・謹身舎
ラスト心学舎 百七十番目の謹身舎 幕末期、外周を世界の列強に囲まれた中で幕府・朝廷・薩長など雄藩による主導権争いが続く慶応元年(一八六五)十一月、加納城下(現岐阜市)に、最後の公認心学講舎・謹身舎が産声をあげた。「都講には森孫作等4名」(『石門心学史の研究』(石川謙、岩波書...
大和商業研究所
2020年2月22日読了時間: 2分
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石門心学風土記 第9回 甲斐の国・洗心舎
志村天目、甲斐に心学を広める 甲斐(現在の山梨県)も心学が栄えた国であった。石門心学研究者の石川謙によると「美濃・信濃と並んで中部地方に於ける心学の一中心をなした」。設立された五舎を年代順に並べると次の通り。存心舎、忠款舎(以上寛政五・六年)、簡文舎、洗心舎(以上寛政十一年...
大和商業研究所
2019年12月26日読了時間: 2分
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心学風土記 第8回 因幡の国 成教舎
「心学の深く俗人の間に伝わり、遠く幽僻(ゆうへき)の地に行われたるを知れり。」明治の国文学者、藤岡作太郎は調査に訪れた家庭で心学本を再三見掛けた感慨を語っている。何をもって幽僻とするかは不明だが、日本全国に心学の灯がともっていたのは確かである。...
大和商業研究所
2019年10月21日読了時間: 2分
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心学風土記 美濃の国 冨圓舎、会友舎
熊谷康二氏の成形の功徳~心学二舎の遺産~ 今から十年以上前になるが、石門心学会の石川松太郎先生から古書を復刻した『圓治と東洲之石心参禅蔵』(2006年10月刊)が送られてきた。熊谷康二氏の労作である。 同書の前書きには、「御挨拶」として「明治元年多治見に於いて富圓舎(ふえん...
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2019年7月17日読了時間: 2分
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心学風土記 第6回 丹波の国 中立舎
道二翁道話に近村より六千七百人が集まる 丹波国は範囲が広く、地形的にも盆地で分れており、江戸時代は7つの藩が治めていた。とりわけ、亀山藩と篠山藩は、地政学的にも主要な拠点として位置づけられていた 心学舎は丹波に五舎在り、各舎で心学界における主要な人物を輩出したが、とりわけ篠...
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2019年6月29日読了時間: 2分
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心学風土記 第5回 武蔵の国『恭倹舎』
「いつ建てたかわかりませんが、今も恭倹舎は残り、県の指定文化財になっています」。埼玉県杉戸町教育委員会の学芸員の方はそう語った。全国広しと言えども、心学舎の看板が掛かり、建物が残されている例は数少ない。 『石門心学史の研究』によると、武蔵国には心学講舎が12舎あった(うち江...
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2019年3月7日読了時間: 2分
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心学風土記 第4回 紀伊の国 双松舎
心学が栄えた紀州藩 紀伊の国は心学が栄えた地だ。天明3(1783)年12月に9代藩主徳川治貞の内意で道二に心学布教のために紀伊一円を自由に行脚することが許可されるなど、藩主が心学に好意的であった。なお、享保の改革を行った吉宗は5代藩主であった。...
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2018年12月31日読了時間: 2分
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心学風土記(第3回)阿波の国「根心舎」
徳島県半田~心学者の子孫ここに在り~ 阿波の国、徳島県は吉野川が流通の主軸となり、藍染め、陶器、和紙、織物などの産業が栄えた。 心学舎は、徳島城下に尊性舎(後に性善舎)、撫養(むや、現鳴門市撫養町)に学半舎、半田(現美馬郡つるぎ町)に根心舎の三舎があった。...
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2018年9月10日読了時間: 2分
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心学風土記(第1回)出羽の国「鶴鳴舎」
藩主自ら心学を学ぶ 出羽の国は現在の秋田県・山形県に相当する。 全国で一八〇舎以上あった心学舎のうち、庄内藩に鶴鳴舎があった。 この地(現鶴岡市)では石門心学が栄え、今もその遺徳が伝わっている。 庄内藩は江戸時代、一貫して酒井氏が治め、本城を鶴岡の鶴ケ岡城とし、支城を酒田の...
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2018年8月13日読了時間: 2分
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心学風土記(第2回)加賀の国「反求舎」
(この記事は1分で読めます) 藩主自ら心学を学び、町奉行が舎を開く 金沢に所用があり、心学舎があったという地域を訪れた。江戸時代と地域表示が変わっており、やっと探し当てた先にあったのは、「金沢大学発祥の地」の石碑。調べてみると1862(文久2)年に金沢大学の前身である種痘所...
大和商業研究所
2018年7月30日読了時間: 2分
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