top of page
  • 執筆者の写真大和商業研究所

『石田先生事蹟』その二

更新日:2023年5月25日

⑨先生の故郷東縣村は、前後山せまりたる所なり。先生の母蓮(はちす)を好みもとめ給ふに、山陰(かげ)の地にて、近きあたりに蓮のある所なし。しかるに其の家の庭さきなる、山際のほそきながれに、少し塗泥(ふけ)のごとくなる所あり。其の所蓮を生ずべき地にもあらざるに、或る年一本(ひともと)の蓮を生ず。母かぎりなく悦びたまふ。其の翌年白蓮華いさぎよく咲きしとなり。この蓮始めて生ぜし時と、先生講席を開き給ふ時と、同じ時にてありしとなり。


⑩先生四十二三歳の時、奉公を引退きて、夫より諸家の講釈を聞き、四十五歳の時、車屋町通御池上る所東側に住居したまひ、はじめて講席をひらき表の柱に書付を出しおきたまへり。其の文は

 何月何日開講、席銭入り申さず候。無縁にても御望の方々は、遠慮無く御通り御聞き成さるべく候。

何方(いづかた)にて講釈し給ふにも、此の書付を出し置き給ふ。聴衆の席は、男女間(ま)をへだて、女の居る所には、簾を掛け置きたまへり。

元文(げんぶん)丁巳(ひのとみ)の春、宅を堺町通六角下ル所東側へ移し給ふ。はじめ、車屋町にて講席を開きたまひし時は、朝暮ともに聴衆大方二三人四五人に過ぎず。ある時は外に人もなくて、先生の交り厚き朋友ありしが、此人と只さし向ひにて講釈したまへり。又或夜の講席に、門人一人のみなりければ、其門人いはく、今夜は外に聴衆もなし。我一人のため講釈したまはんこと、其労はぼかりあれば、今宵は休みたまへかしと申しければ、先生曰、我講釈をはじむる時、ただ見台とさし向ひとおもひしに、聴衆一人にてもあれば満足なりとて、講釈し給へり。出講釈したまふ所は、大阪・河内・和泉。大阪へは度々行きて講釈し給ふ。京都にても所をかヘ、三十日、或いは五十日、数度講釈したまひしなり。宅にて毎朝隔夜(かくや)に、講釈したまふ。又月次(つきなみ)に三度会あり。それは兼ねて問を出し、門人に答書をさせ、先生も答を書き、判断したまへり。

講釈のはじめの日と、終りの日には、沐浴(ゆあみ)し、麻上下(かみしも)を着したまふ。平生は袴羽織のままにて講釈し給へども、上下着の心もちにて居給ひけるとなり。出講釈には始の日より終の日まで、麻上下を着したまへり。

常に説きたまひし書は、四書・孝経・小学・易経・詩経・大極図説・近思録・性理字義・老子・荘子・和論語・徒然草等。

平生朝は未明に起給ひて、手洗(ちょうず)し、戸を開き、家内掃除し、袴羽織を着し給ひ、手洗し、あらたに燈(ともしび)を献じ、先ず天照皇太神宮を拝し奉り、竈の神を拝し、故郷の氏神を拝し、大聖文宣王を拝し、弥陀釈迦佛を拝し、師を拝し、先祖父母等を拝し、それより食にむかひて、一々頂戴し、食し終りて口すすぎ、しばらく休息し、講釈をはじめ給へり。

暮がたにも又さうじし、手水し、燈を献じ、朝のごとくに拝したまへり。

四五日に一度は、かならず家内掃除し、柱敷居等をふきたまふ。

朝の講釈は、明がたに始まり、辰の刻に終り、夜の講釈は、暮早々にはじまり、戌(いぬ)の刻におはれり。

朝暮講釈まへ、朝は白湯(さゆ)、暮には茶を煎じ、たばこ盆の火入ごとに、火をいけ置き給ふ。昼の間は人来(きた)ることおほく、且時を定めず講釈を乞ひて聞く人もあり、夜は毎夜亥(ゐ)の刻まで、門人あつまりゐて、聞ける所の不審あるをたづね論ず。かく昼夜事繁し。其隙(ひま)には、机により書を見たまふ。おりおり持病によりて、ねむりを催すことあり。其時はそのまま座をたち給ひ、掃除などし、ねむりさめぬればさうぢをさし置き、又机によりて書を見たまふ。夏の短夜にも門人帰りし後、書を見たまへば、子の刻よりまへに寝給ふことなし。冬の夜は大かた丑(うし)の刻まで、書を見たまへり。


⑪先生衣服、夏の常着は布、晴着は奈良晒布(ざらし)。冬の常着は木綿、晴着は紬(つむぎ)を着したまふ。飯(はん)は上白米にして、粥の類を食し給ふ事多し。日に一度はきはめて味噌汁を調へ、麁(そ)なる一菜を調へて食し給へり。

茶は麁ならざるを平生用ひ給ふ。折々煎じがらを、ひたし物に食し給へり。

米をあらひ給ふには、一番二番のあらひ水を、外の器に溜めてゐさせ置きて、鼠の食物にあたへ、釜に残りし飯粒は、湯にしてのみ、少しにても釜につきしは、よく洗ひゐさせ置きて、雀・鼠などの食にあたへ給ふ。汁鍋・汁椀の類、汁尽きて後、茶を汲入れ、あらひて飲みたまへり。

菜の葉の類は、腐りたる葉は捨て、枯葉は捨てずして用ひ給ふ。

稀に魚類を買ひ給ふ。其品はこあいざこ、或ははかり鯨、海老ざこの類なり。

たばこをつぎたまふに、きせるの火皿より、少しも出つることなし。

薪は細かに割りて、焼付(たきつけ)やすきようになし置給ふ。木屑は五分一寸の木にても、庭におちたるは洗ひて竈へ入置給へり。付木(つけぎ)の広きは二つにさきて用ひ、つかひさしたるはたくはへ置き燈をうつすに用ひ、両三度の用にたてたまふ。火入の火は、二分三分の火にても、炭けし壼へ入置きて用ひ給へり。

灸治、あるひは小便所の燈、かたく分れを正し給ふ。若(もし)其類の火を付木にてともしたまふときは、其残る付木をあらひて、竈へ入置給へり。水清ければ心も清しとなり。

釣瓶(つるべ)の古縄は、干置きて焼(たき)物とし、其灰を火入・火鉢に入れて、火をいけ給へり。是よく火を持つゆゑとなり。

畳の古縁(べり)は、ほこり払ひにして用ひ給ふ。平生みづから髪をゆひ給ふ。元結はあらひて、いくたびももちひ給へり。

乞食に物を施したまふに、あたふる時は速にあたへ、又用事に取かかりなどして、あたへ給はぬときは、声を高くし与へぬよし厳しくいひたまふ。是はしばらくも、無益に立留らせまじきがためなり。

箔をおきたる墨は用ひ給はず。墨の磨屑(すりくず)、又硯に付きたる墨のかすをも、こそげて貯へ置給ふ。是は墨にて塗るべき物ある時に、用ひ給はんが為なり。

すべて紙にて封じたる物をとき給ふに、必ず封じめを水にてしめし披(ひら)き給へり。是は紙を破らぬやうにとなり。障子を張りし紙の古きは、紙のちからなきゆゑ、用ひやうなき物なれども、是をもやぶらぬやうにはなし置きて、厠(かわや)のおとし紙に用ひ給へり。さなきは紙は少しの切にても紙くず籠へ入れ、聊(いささか)も捨給ふ事なし。紙屑を売給ふには、貧しと見ゆる者へうり、あたひは買う者のいふごとくにまかせ給へり。

何にても結構なる物を用ひ給はず、惣じて麁なる物を用ひ給へり。





閲覧数:17回0件のコメント

最新記事

すべて表示

実践人誌『偉人伝・石田梅岩と石門心学』(三)

「実践人」誌2023年5月号に『偉人伝・石田梅岩と石門心学』(三)を寄稿しました。 内容は、森信三先生による詩「石田梅岩」、『石田先生事蹟』解題です。 そのPDF版を掲載します。

実践人誌『偉人伝・石田梅岩と石門心学』(一)

「実践人」誌2023年3月号に『偉人伝・石田梅岩と石門心学』(一)寄稿しました。 内容は、「私と石田梅岩との出会い」「石門心学講舎一覧(一八七舎)」です。 そのPDF版を掲載します。

Comments


bottom of page