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  • 執筆者の写真大和商業研究所

『石田先生事蹟』その三

更新日:2023年5月25日

⑫先生日、今上(きんじょう)皇帝を拝し奉る事、下民(かみん)において恐れあり。天照皇太神宮を拝し奉るうちに、即ち摂在(かねいま)せるなり。

禁裏へ拝見の事有て参り給ふには、必ず沐浴(ゆあみ)したまへり。南門の前にては天照皇太神宮を拝し奉る心にて過ぎ゙給ふとなり。

雷鳴の時は、深夜といへども、必ず起きて正しく座して、慎み給へり。

貴人へ見(まみえ)給ふ時は、かならず沐浴し給へり。

高貴の御方の御手跡を、手本にして習ふは、下民においては恐れ憚るべき事なりと、おほせられける。

御制札の前は笠をぬぎ、腰を折りて通りたまふ。是は公の命を重んじ給ひてなり。笠をぬぎ給ふ事は、一町も前より脱ぎ給へり。是は人の目に立たざるやうにとなり。

御触状(おんふれじょう)を拝見したまふ時は、篤く敬(つつ)しみ給へり。伊勢参宮の人を迎ひに行き給ふ時は、沐浴して出でたまへり。神を拝する心にて迎へたふまとなり。自ら参宮したまふ時は、旅宿にて毎夜沐浴したまへり。

先生故郷へ行き給ふには、かならず宅にて沐浴し出給ふ。道の程七里ばかりの所なるが、故郷の宅に着し給ふまでは、二便を便じ給はず。是は身を汚さじとなり。扨(さ故郷に至りては、先づ氏神に参詣し、次に父母の墓に参りて後、宅に着したまへり。

門人より備ふる鏡餅を、悉く神に献じて、のちにつかひ給へり。

酒を買給ふときは、少し竈へそそぎ、献じてのちにつかひ給ふ。

衣服ごしにも足に手をふれ給ふ事あれば、即ち立ちて手水(ちょうず)したまへり。

人より手紙来れば戴きて、其のちひらき見給へり。実に其人に対し給うが如し。

旧き弟子といへども、学問に志おこたれば、かたく祝儀物を、受けたまはざりしなり。

人を頼みて物を買給ふに、値をとらざる人あれば、少しの物といへども用ひずして返し給へり。音物(いんもつ)をうけ、ためを入給ふに、上半紙を用ひ給ふ。是は手習の清書紙(きよがきがみ)にもなり、無益についえざるやうにとなり。

人へつかはし給ふ包銀(がね)には、のしを付け、包銭(ぜに)は水引をかけて、のしを付けたまへり。

小便に行き給ふ度毎に、袴羽織を脱ぎて行きたまへり。大便に行給ふには、先ず小便所にて小便を便じて後、大便所に行き給ふ。是、大小便混ずれば運送の勝手悪しく、農家に嫌ふこと故、かく心づかひし給へり。

風呂へ入給ふには、先づ身をよく洗ひて後入給へり。


⑬先生老友死去にて、其葬礼に行給ふに、門人白地に紋付たる帷子(かたびら)を出し進(まゐら)せしに、紛らはしとて染帷子を着し給へり。


⑭先生夜講釈したまふ日、人ありて長物語し、日暮に及ぶといへども、更に何の気色も見えたまはざりしなり。


⑮先生自炊(てせんじ)し給ふを、門人憂へて下男(しもおとこ)一人使ひ賜はるべしと申しければ、それはかへって我労になれば、無用と仰せられしを、門人強ひて申しければ、拒まずしてつかひ給ふに、其男常に出あるき、留守の役にさへ立たぬものなるに、其事を一言も出し給はずして、つかひゐたまへり。

門人是を知りて、此男を退け出し、又門人のはからひにて、男を置きかへけるに、此もの柔和にはありけれども、鈍き者にて、吾帯さへ得せざれば、先生結びて遣給ふ。

また寒中に両足とも垢切(あかぎれ)にて痛みければ、先生いたましくおもひ給ひ、そくひてやるべしと仰せられければ、そのまま両足をのべてそくはせけり。此男も先生の労になれば、門人又是も退け出し、その後は先生の意に任せしかば、生涯自炊にて暮らし給へり。


⑯先生書を見ゐたまふに、近所の小童(こども)来りて、たはぶれに外より案内をこへば、答へして出で給ふ。小童是を笑ひ、はしり逃げて、また来り前のごとくすれば、先生もまた始のごとく、答へして出でたまへり。


⑰先生道を往来し給ふに、夏は陰を人に譲り、みづからは日あたりをあるき、冬は日あたりを人に譲り、自らは陰を歩行(あるき)給へり。


⑱先生曰く、仁に至るは、心徳の事にて重きことなれば、急々には至られずといへども、事の上にて心づかひもせず、身に苦労もせず、財も費やさずして、一品二品は仁の行はるる事あるべし。万分の一なりとも、行はるることは行へば、それほどの仁となりて、善となるべしとおもへり。このゆゑに其品を書付候。

道を往来する時心がけなば、道を作るがごとき、世のたすけとなることあるべし。一事を挙げていはば、小水(こみず)の道中へ流れ出つるを、側へせきやりおくも仁なり。

他出するにゆく所を親兄弟にても、家内の者にても、慥(たしか)にいひ置けば、人の心を安んじて仁なり。

往還(ゆきかえり)の道すぢをいひ置けば、迎ひが違はずして仁なり。

書はお家流を書くべし。これ見え安ければ、人の心をやすんじて仁なり。

からかさ菅笠の類に、目印を書付け置くは、印の無きよりはよけれども、直に名をかきつくるにくらぶれば悪し。名を書付各置くは、百人が百人ながら知る。印なれば百人が九十人は知らず。あまたの人の心を労して不仁なり。吾はせず。

すべて物を用ゆるに、愛宕山、日枝の山にて水をつかふと、大井川、賀茂川にて水を遣ふとのごとく、其所々にて、節(ほどよ)くもちひ、人の心をいためぬやうにするは仁なり。

少し人の気に入らぬ事ありとも、無欲にするほど仁の本となることはあるまじ。少しづつは心懸候へども、是には腰が立ち申さず候。是に腰を立て申し度き願ひに候へども、生涯には願ひ叶ふまじきかと、嘆はしく候。


⑲先生曰く、田畠のやしなひに多くの人苦労あることを見聞くゆゑに、吾三十年このかた一日半日の旅行にも、二便ともに心を付け、厠に入りて便じ、又厠なき所にては、田地に便するやうに心懸けり。是いやしく細かなることながら吾相応の倹約と思へり。


⑳先生何(いず)かたにもあれ、茶店に休みたまふときは、見苦しく貧しと見ゆる所に休給ひて、茶のあたひは、おほくあたへ給へり。


㉑先生曰く、吾二十歳の頃、脾胃(ひい)に病いありて、養生のため、朝夕雑炊を食す。それゆゑか一月ばかりに本服せり。是によりて考へ見れば、一日に二食(じき)をもって身の養ひ足れりとおもひ、其後四十歳の頃までは二食にて暮せり。およそ一日に四合食ふを三合にて足れば、残る一合世界の助けとなる。それのみならず度々食すれば、万事についえ多きゆゑ、二食にて暮し、残る一食分の米一合は、乞食に施し来りしが、夜講釈を始めしかば、或る人声をはるもの、食ともしければ、命の障(さわり)となるといへり。短命にては吾伝ふる道を、人に授くるの志遂げずとおもひ、それより三食になせり。



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