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  • 執筆者の写真大和商業研究所

行状をもって導く『先哲・石田梅岩の世界50』

【意訳】行藤氏(ゆきふじうじ)は質問しました。先生は門人を指導するのに、心を中心に教えられるのですか。先生は「そうではない。行い・実践をもって教えます」と答えました。

【原文】行藤氏問う。先生門人を教え導かるるは、心を専らとして教えらるるや。先生答えていわく、しからず行状(ぎょうじょう)を以って教ゆ。『石田先生事蹟』


知って行わざれば何の益もなし

【付記】『都鄙問答』には「心を得るを学問の始めとし終りとする」とあります。しかし行藤氏の質問に対して「行状を以って教ゆ」と告げ、その後に「五倫(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)を専らにして導く」と語っています。先生は心を知るのに二十年かかっています。心を知るためにも日常の修養が重要なのです。

先生は論語学而(がくじ)第一の「行いて余力あらば、則ち以って文を学ぶ」はよく引用し、文字による学びを後順位としています。「知って行わざれば何の益もなし」なのです。

森信三先生も「そもそも学の本義は、改めていうまでもなく、解行一如(けぎょういちにょ)、知行合一(ちこうごういつ)の一境に至るのほかにない」(『石田先生事蹟』解題)と、知ることと実践との一致を説いています。また、現実の世界において、難題にぶつかった際に石門心学が役立つと語っています。「逆境は神の恩寵的試練」であり、「絶対必然、即絶対最善」と、人生の根本態度を述べておられます。

【写真】実践人の家、森信三先生座像


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