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  • 執筆者の写真大和商業研究所

松柏舎(第5期第6講)を終えて

今年、最初の松柏舎(第5期第6講)を終えた。緊急事態宣言の下で、開催するかどうか迷ったが、会場(大阪市中央公会堂)が開いている限り、行うと決断した。

上甲晃先生の12月の人間学塾中之島における講話での「コロナ禍は私達に、『この困難に耐えることができるのは目標を持って生きている人』になるように教えている」という言葉にも背中を押された。

感染対策には万全を期して、制限人数の範囲内での参加を呼び掛けた。

今回で淡路島の心学講師・高村悠斎(1765~1834)の『大洋雑話』の4日間の輪読を終えた。この書を入手できたのは東京在住の子孫・高村英之氏のお陰だ。先祖が発行した文書を探し出し、往来物研究家の小泉吉永先生に依頼し、翻字・現代語訳をされた。その刻苦に感謝しつつ、読み続けてきた。

高村悠斎は医師。石田梅岩先生の高弟・手島堵庵の子・上河淇水に京都・明倫舎にて心学を学び、郷里で私塾・大洋舎を開き、近隣の人々に師の教えを伝え、また幕府の要請により郷村を巡講した。年代的にも地理的にも、高田屋嘉兵衛と接触があったと私は推測する。

『大洋雑話』は全18段あるが、その第1段で言う。「梅岩先生が人々を教導するのは、その学びを本物にさせようと、最初に学ぶ者が本来持っている本心の一端に気付かせ、その明徳の光を見失わないように慎むことを教え、それを日々に磨き、怠らず身を修め、善に進むことを止めなければ、ついには心徳の至善を成就することを諭すのみ」。

つまり「天人一致を知り、修行を悦び楽しむ気持ちを起こさせ、善に進み行いやすくする」ことにある。

梅岩師の教えは「三聖一旨」(神儒仏が道の本体)であるという言葉は初めて耳にし、新鮮で心に刻んだ。当時の宗教・哲学を対立ではなく、融和に向かわせる一語である。神も孔子も釈迦も目指すものは自性を知ることに尽きると語っている。

この『大洋雑話』は神代記から始まり、詩経・易経・春秋・礼記・論語・孟子・大学・徒然草などを引用。一つの段が長すぎず、荻生徂徠や伊藤仁斎、尾藤二洲、堵庵、中沢道二なども登場し、読む人を飽きさせないする。

古くからの和歌や言葉も紹介し、理解を助けている。道真の「千代を経て神の社は我が身なれ 出でいる息は外宮内宮」、紀貫之の「花に鳴く鶯 水にすむ蛙の声 いずれか歌を詠まざらん」や自身の「面白や須弥(しゅみ)外なる日月も 我が腹中をめぐると思えば」も、心学の壮大な境地を語っている。

高村悠斎は、先師である梅岩・堵庵の教義をよく踏まえ、直弟子たちが順に退場していく時期に、柴田鳩翁らと共に、江戸後期の心学隆盛への継ぎ投を担った。

2百年後に、同友と読み活用することができる私たちは幸せである。



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