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  • 執筆者の写真大和商業研究所

都鄙問答の段(前半)現代語訳・註釈

『都鄙問答』

1 都鄙問答の段 前半 (岩波文庫、9~13頁)

【現代語訳】(文責:清水正博)


赤字のサブタイトルは、『都鄙問答』(石川謙、田辺肥洲校訂、石門心学会発行)の見出しを用いた。


青字の(小高注)は、『近世思想家文集』(日本古典文学大系97、岩波書店)『都鄙問答』(小高敏郎注釈)を参照。


9頁

「偉大なるかな、乾元(けんげん)のはたらきは!、 よろずの物はこれをもととして始められる。言うなれば天道の全体を統(す)べるのは乾の元徳である。この乾元の気はやがて雲となって流行し雨となって降りそそぎ、ここによろずの物もその形体を備えるにいたる。」(注1)

天の与えてくれる楽しみは、実に面白い有様である。何をもってこれに加えることがあろうか。

「梅岩の学を異端であると非難する者がある」

【問】

ある時、故郷の者が来て言った。

「最近、上京し、親類の家に行ったところ、ある学者が来られて話をしている中で、あなたの噂が出た。そのことについて、詳しく尋ねたいことがあったので来た。これまで、あなたの出身地の噂では、『小学』(注2)などを講義して、少しずつは門人も集まっている聞いて、影ながら喜ばしく思っていた。ところがその学者は「彼は異端の者で、儒者ではない」と言う。そこで「その異端というのは、いかなる理由か」と尋ねたところ、「異端と言う意味は、聖人の道ではないということだ。その者が勝手に自分の考えで、教えを立て、世間の愚な者を迷わせ、たぶらかして、性を知る、心を知るといった、向上(悟り)(注3)の論義を爲し、人を惑わすことである。性を知るということは、古の聖人、賢人のことであって、後世の人が、及ぶべき所ではない」と言われた。

 私はこの話を聞いて思った。人を惑わすことの罪は、山賊、強盗より大きい。余りにばかばかしく思い、今ここで申し上げている。あなたが故郷へ帰って、生活をすることくらいは、たやすいことだ。一人が生計を立てるために、人を迷はすのは悲しいことだ。そのことをどう思っているのか。

「梅岩が志すところの教学」

【答】

あなたのいたわりは身に余る心持ちだ。まず、私が教えを立てる志について語りましょう。

孟子の曰く、「人間の通有性として、衣食が十二分でぶらぶら怠けていてなんら教育を受けないと、殆ど鳥やけものと大して違わないものだ。そこで聖人(舜)はまたこのことを心配して、(その家臣で殷の祖先といわれる)契(せつ)を教育を掌(つかさど)る司徒の官につけて、人民に人間としての道を教えさせた。それから道が行われて、父子の間には親愛があり、君臣の間には礼義あり、夫婦の間には区別があり、長幼の間には順序があり、朋友の間には信義があるというようになった。」(『孟子』滕文公上)(注4)。

10頁

この五つを能くすることを、学問の功徳と言う。これによって、古人の学問というものがわかるのだ。

 『論語』「学而篇」に「君子は本を務む。本立ちて道生ず」(君子は根本のことに努力する。根本が定まってはじめて(進むべき)道がはっきりする)とあるように、皆、根本を務めることを多くする。人倫の大元は天から出で、仁義礼智の良心をなすことである。

 孟子はこうも言っている。「学問の道は外にはない。自分の放心した心を探し求めるだけのことだ。」

(注5)

 この心を知って後に、聖人の行いを見て、教えの道理を知るべきである。

君子が為すべき道を尽くす行いは堯にあり。孝の道を尽くす理想は舜にあり。臣が道を尽くす手本は周公にあり。学問の道を尽くすことは大聖・孔子が行っている。これはみな、孟子の言うように、自性のままでありながら、天地と一体になっている。聖人は人の道を究め尽くしている。このような君子の大徳の行跡を見て、これを道理として、五倫の道を教え、天が命じる職分を知らせ、力を込めて行うとき、身が修つて、家が斉い、国が治まって、天下が平かとなるのである。(注6)

 孟子は言っている。「先王の法に従って事を過った者は、昔から決してないのである。」(『孟子』離婁上)(注7)

また孟子は言う。「天下において人の本性を論ずる者は、みな智的な推理だけにたよっている。推理は智の働きが根本である。」(『孟子』離婁下)(注8)

その性というものは、人から禽獸・草木に至るまで、天から受け得て、生まれ出ることが道理である。松は緑、桜は花、羽のあるもの空を飛び、鱗があるものは水を泳ぎ、太陽や月が天空を巡るのも、みな道理である。去年の四季が運行するのを見て今年の動きを知る。咋日の事を見て、今日を知る。これが則ち、故(あと)(過去)を見て、天下の性を知るということである。性を知る時には、五常五倫(注9)の道は、その中に備わっている。

「性を知るは学問の綱領」

『中庸』に言う、「天がその命令として、人間や万物にわりつけて与えたものが、それぞれの本性(もちまえ)である。その本性のあるがままに従っていくとそこにできあがるのが、(人として当然ふみ行うべき)道である。」(注10) 

性を知らずに、性に従うことは、ありえないことである。性を知ることが、学問の綱領(基本的眼目)である。

 私が怪しいことを語っているのではない。堯舜の道が、万国の道理となっていることは、性に従っているからである。そのために、心を知ることを、学問の初めだと言っているのである。

そういう訳で、心性の沙汰を除いて、他に至極の学問があることを私は知らない。物事は全て心より為すものである。心は身体の主だ。主の無い身体であれば、山野に捨てられた死人と同じである。

11頁

その主とは何かを知らせる教えを、異端というは、どういうことなのか。

【問】その学者だけが言っているのではない。その場に禅僧が居たが、この僧が言うには「わたしも、自性を見たいと思い、15年程、坐禅をしてきたが、未だにこれだとは見性できないでいる。見性すれば、飛び上がるほど嬉しいことだと聞いている。しかしながら、簡単に知ることができるとは、紛れ者に違ひない」と言う。

そのうえ、あなたの言うようなことであれば、知り易きことである。私のようなものには見当のつかないことであるが、よく気を付けて見れば、春には花が咲き、秋には実り、冬には蔵に収まり、人は人の道を行うという当たり前のことを、毎日毎日講釋し、家業の忙しい者を寄せ集め、時間を浪費させているのは、どのような理由からであろうか。

さらにあなたは、故きを見て知ると言う。その禅僧は、15年間、心を尽くしても、性を知り得ることは難しいと言う。それなのにあなたは、不学の身でありながら、知ることは易しいと言う。あれこれと疑問が多い。詳しく説明してほしい。

【答】

あなたの言う僧は、未熟の僧であるから、論ずるに足りない。

「禅家の見性」

焦点を定めて、優れた人を見てほしい。釈尊は、曉の明星を見て大悟された。唐の霊雲禅師(注11)は、桃花を見て悟られた。悟ってから後に、星を月と見ただろうか。また悟らない前に、桃を桜と見ただろうか(そんなことはない)。

どうして溌剌(はつらつ)として明白なところを知らなかったのか。信心が及ばず、益もなく、15年間も精神を費やしたことは、残念なことだ。

ところで、あなたは私を不学と言うのは、文字に疎いからか。

【問】その通りだ

「文字による学と実体にとり組むの学」

【答】

『唐の六祖・慧能(えのう)(注12)は、一字も読めなかったと聞く。

12頁

しかし、達磨より六代目の祖となって禅を今日まで継承してきたことは六祖の力であった。もっとも、是は禅宗のことである。

私どもの儒学で当てはめれば、子夏が言った。「すぐれた人をすぐれた人として、父母に仕えてよくその力を尽くし、君に仕えてはよくその身をささげ、友だちとの交際では話した言葉に誠実である。そうした人物なら、誰かがまだ学問をしていないと言ったところで、私(子夏)はきっと学問したと評価するだろう。」(注13)

聖人の道は、心が出発点だ。文字を知らなくても、親に孝を尽くせるし、君主に対し忠を成し、友との交りもでき、文字が無かった時代でも、伏羲(ふぎ)・神農は聖人であった。ただ心を尽くして、五倫の道をしっかり行えば、一字を学ばずといえども、この人を真の学者と言える。

 さらに文学のある者は、外見と実質がよく調和した君子(注14)と言えるが、一般の者はそこまで至ることはできない。何故ならば家業が忙しく、学問上の覚えが乏しい者が多い。孔子曰く、「実行してなお余裕があれば。そこで書物を学ぶことだ。」(注15)

聖人の学問は、行いを本体として、文学は枝葉であることを知るべきである。

【問】あなたが言うようであれば、文学は末であることが明かだが、かの儒者に「一言で、身が修まることがあるかどうか」と尋ねたところ、「あなたのような、四書の素読もしない者に、聖人の道について何を言い聞かすことができようか。俗に耳の聞こえない人にささやくと言うようなものだ。耳に入ることはないだろう」と言われた。

また世間の人も、このように思っているだろう。そうであれば、あなたの言う話は誤りだ。文学がなくては、知ることができない。どれほど言われても疑いもないことだ。

ところで、あなたは、どこで学んで、世間の学者と異なる教えを弘めようとしているのか。

「梅岩の学の由って来た経路」

【答】世間の学者と異なることを教えるのではない。あなたが不審に思うことを話そう。

私は、誰とも師家と定めずに、一年あるいは半年と、聞き巡った。私は初心者で愚昧という病いがあり、ここぞという心が定まらず、心が一致する学び舎もなく、このことを歎いたまま年月が経ったが、ある所に隠遁の学者が居た(注16)

「小栗了雲との出会い」

この人に出逢い話をする中で、心性の沙汰を及んだところ、一言を述べただけで相手は早速、こちらの話を聞き取って、「あなたは、心を知ったと思っているが、未だ知らず。学んだところは雲泥の違いがある。

13頁

心を知らずに、聖人の書を見るならば、ほんのわずかな差でも千里の違いとなる」と言う。

しかしながら、私が言うことは相手に伝わっていないためにこのように言うのだろうと気づいて、何度も論議に及んでも、賛同する様子が伺えない。私は、益々理解ができなくなった。

ある時、その人(隠遁の学者)が言った。「あなたは、何の為に学問をしているのか。」

私は答えて言った。「五倫五常の道を以て、我より以下の人に、教えたいと志ざしている」。するとその人は言った。

「温故致新」

「道は道心と言って心である。孔子は言っている、“故きを温めて、新しきを知る、以て師と爲るべし”(注17)。故きとは師より聞く所、新しきとは、自らが発明する所である。発明して後は、学ぶ所は自身に在って、人に対して窮(きわま)ることがない。これを以て師と成すべきである。しかしながら、あなたは、心を知らないので、自ら迷っていて、そのうえ、他の人をも迷はせたいのか。心は一身の主である。身の主を知らなければそれは風来坊といい、宿無し同前である。自身の宿がないのに、他者を救おうとすることは、心もとないことだ」と言う。

私は自身の見識を言おうとしたが、卵を以て大石に当たる如くで、言葉で伝えることができなかった。ここに於いて、判然とせず(注18)、疑いを生じた。実に疑いを得たということに間違いない。しかし、疑いが起きていることは、いまだ心が定まっていないと決定し、そこから、他の事は全く心に入らず、明けても暮れても、如何々々と心を尽くし、身も疲れ、日を過すこと一年半ほど経った。

「悟りの機縁と状況」

 そんな折り母が病気になり、20日程、看病をしていた。そして部屋を出たその時、突然に疑いが晴れ、煙を風が散らすよりも早く感じた。「堯や舜の道は、親孝行と兄によく従うことに尽きる」(注19)。魚は水を泳ぎ、鳥は空を飛ぶ。詩経では云う、「鳶は飛んで空の上までも高くあがり、魚は深い淵にもぐってはねおどる」(注20)。道のはたらきは、上下にあきらかである。何を疑うことがあろうか。

人は孝悌忠信(親に孝行を尽くし、年長者に従い、忠実で、信義にあついこと) (注21)これ以外には無いことを了解して、二十年来の疑問が解けた。これは文字で理解することではなく、修行によって得られることだ。


1 都鄙問答の段 前半 9~13頁

【注釈】(文責:清水正博)


(1)原文は「大なるかな乾元(けんげん)、萬物資(と)りて始む。乃ち天を統(す)ぶ。雲行き、雨施し、品物(ひんぶつ)形を流(し)く。乾道變化、各性命を正すなり。」(『易経』乾之彖(たん)伝)

現代語訳は、『易経』(岩波文庫)より参照した。

なお易経では次の言葉が続いている。「大明終始、六位時成。時乗六龍、以御天。」(おおいに終始を明らかにし、六位時に成る。時に六竜に乗り、もって天を御す)。「保合大和、乃利貞。首出庶物、萬國咸寧。」(大和を保合するは、すなわち利貞なり。諸物に首出して、万国ことごとく寧(やす)し)。

(2)小学:中国で酒掃(さいそう)(清水注:掃除のこと)・応対・進退などの作法、嘉言・善行を古今の書から抜粋・収録して、初学者の課業を示した書。内外2編、6巻。南宋の劉子澄(ちょう)が朱熹の指示を受けて編纂。1187年成る。(『広辞苑』参照)

(3)向上:上に向かって進む。最上、最高。悟りの知見。(『広辞苑』参照)。ここでは「悟り」と解釈した。

(4)『孟子』滕文公章句上第五4(『孟子(下)』岩波文庫)

〔現代語訳〕「人間の通有性として、衣食が十二分でぶらぶら怠けていてなんら教育を受けないと、殆ど鳥やけものと大して違わないものだ。そこで聖人(舜)はまたこのことを心配して、(その家臣で殷の祖先といわれる)契(せつ)を教育を掌(つかさど)る司徒の官につけて、人民に人間としての道を教えさせた。それから道が行われて、父子の間には親愛があり、君臣の間には礼義あり、夫婦の間には区別があり、長幼の間には順序があり、朋友の間には信義があるというようになった。」

(5)『孟子』告子上第十一11(『孟子(下)』岩波文庫)

〔書き下し文〕學問の道、他なし。其放心を求むるのみ。

〔現代語訳〕学問の道は外にはない。自分の放心した心を探し求めるだけのことだ。

〔清水注〕心学本各所に載る。

(6)『大学』(第1章)に、「物格(いた)りて后(のち)知至(きわ)まる。知至まりて后意誠なり。意誠にして后心正し。

意誠にして后身修まる。身修まりて后家斉う。家斉いて后国治まる。国治まりて后天下平かなり」とある。

(7)『孟子』離婁上第七1(『孟子(下)』岩波文庫)

〔書き下し文〕孟子曰、「先王の法に遵つて、過つ者は、未だ之有らず。」

〔現代語訳〕先王の法に従って事を過った者は、昔から決してないのである。

(8)『孟子』離婁下第八27(『孟子(下)』岩波文庫)

〔書き下し文〕叉曰、「天下性を言うものは、故に則るのみ。故は利(智)を以て本となす。」

〔現代語訳〕「天下において人の本性を論ずる者は、みな智的な推理だけにたよっている。推理は智の働きが根本である。」

(9)五常:儒教で云う「人間の実行すべき五つの道」の事。「仁・義・礼・智・信」の徳。

五倫:(4)参照

(10)『大学・中庸』(岩波文庫)「中庸(第一章)」

〔書き下し文〕「天の命ずるをこれ性と謂う。性に率うをこれ道と謂う。道を修むるをこれ教えと謂う。」

〔現代語訳〕「天が、その命令として(人間や万物にわりつけて与えたものが、それぞれの本性(もちまえ)である。その本性のあるがままに従っていく(とそこにできあがる)のが、(人として当然ふみ行うべき)道である。その道を治めととのえてだれにも分かりやすくしたのが、聖人の教えである。

(11)霊雲:霊雲志勤(れいうんしごん)は唐の僧。桃の花を見て悟りに至った。

(12)六祖:中国禅宗(南宋)の慧能(えのう)、638~713。五祖弘忍の後継者。文字が読めなかった。(参照:ウィキペディア)

(13)『論語』学而第一7(岩波文庫)

〔書き下し文〕子夏が曰く、賢を賢として色に易(か)え、父母に事えて能く其の力を竭(つく)し、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わるに言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。

〔現代語訳〕子夏が言った、「すぐれた人をすぐれた人として、父母に仕えてよくその力を尽くし、君に仕えてはよくその身をささげ、友だちとの交際では話した言葉に誠実である。そうした人物なら、誰かがまだ学問をしていないと言ったところで、私(子夏)はきっと学問したと評価するだろう。」

(14)文質彬彬:外見の美と実質とよく調和している様。君子たる条件をいう。(『広辞苑』参照)

(15)『論語』学而第一6(岩波文庫)

〔書き下し文〕行ないて余力あれば、則ち以て文を学ぶ。

〔現代語訳〕実行してなお余裕があれば。そこで書物を学ぶことだ。

(16)『石田先生事蹟』に、「先生三十五六歳の頃まで、性を知れりと定めいたまいしに、何となく其性に疑いおこり、是れを正さんとて、かなたこなたと師を求めたまえども、何方(いずかた)にても師とすべき人なしとて、年月を歴(へ)給いしに、了雲老師にまみえ給い」とある。(『石田梅岩全集(下)』参照』

(17)『論語』為政第二11(岩波文庫)

〔書き下し文〕故きを温めて、新しきを知る、以て師と爲るべし。

〔現代語訳〕古いことに習熟して新しいこともわきまえてゆくなら、人の師となれる。

(18)茫然:広大なさま、とりとめもないさま。はんぜんとしないさま。(『広辞苑』参照)。ここでは「判然としない」と解釈した。

(19)『孟子』告子下第十二2(『孟子(下)』岩波文庫)

〔書き下し文〕堯舜の道は、孝のみ。

〔現代語訳〕堯や舜の道というと(いかにも難しく聞こえるが)、つまりは孝ととに尽きるのです。

悌と孝弟は同じ。親に孝行で、兄によく従うこと。

〔清水注〕何故、梅岩が商家での重要な仕事を離れて、この時期に生家に帰ったのか。藪入りの時節とも考えられる。「堯舜の道は孝のみ」という気づきについて、「孝」は母への介護に臨んでいることとリンクしているとも言えよう。「悌」については、兄夫婦と梅岩はどんな関係にあったか、推測の域を出ないが、梅岩自身、何か反省すべき事情があったかも知れない

(20)『中庸』第三章(『大学・中庸』岩波文庫)

〔書き下し文〕詩に云う、「鳶飛んで天に戻(いた)り、魚淵に躍る」

〔現代語訳〕詩経では云う、「鳶は飛んで空の上までも高くあがり、魚は深い淵にもぐってはねおどる」とうたわれている。道のはたらきが上下にどこまでもゆきわたっていることをのべたものである。

(21)孝悌忠信:儒教でいう4つの徳。親に孝行を尽くし、年長者に従い、忠実で、信義にあついこと。(『広辞苑』参照)。



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