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  • 執筆者の写真大和商業研究所

石門心学風土記 第40回 備中の国 敬明舎

岡山における心学講舎は十舎

岡山県(備前・備中・美作)は、心学が栄えた地だ。県別舎数は十舎、全国第六位にランクされる。うち備中には四舎があった。教睦舎(高沼村)・敬明舎(連島村)・自省舎(倉敷村)・由学舎(船穂村)で、現在は市町村合併により、いずれも倉敷市になった。うち三舎は天保年間(1830~1844)に廃絶になり、入れ替わるように同五年(1834)開講の自省舎は倉敷代官所内(現アイビースクエア)に、教諭所と併設して開設された。

平成の快事~心学敬明舎再興~

私は敬明舎が再興するという話を人づてに聞き、黒川康徳舎主を訪ねたのは二〇一六年七月。黒川氏は敬明舎の子孫である三氏を訪ね、同舎再興の許可を得たとのこと。このように心学舎再興を図る事例は稀である。まさに平成における快事。これまで定例で活動している舎は、大阪・明誠舎、京都・修正舎のみであったが、倉敷が加わり、今後の心学の広がりを予兆させる。

 その経緯を伝えてほしく、明誠舎HPに『心学敬明舎再興物語』を寄稿頂いた。その一部を以下に掲載する(全文は明誠舎HP参照)。

石門心学を学ぶのではなく、あくまで徹底して梅岩学を探究することにより、その神髄とする「心の追究」となりましょう。それはまた、人々の日常における「心の平安」へと繋がり、延いては社会の安定に寄与することとなりましょう。それはまた、梅岩からの新たな発展への展開でもあり、新たな心学の在り方とも言えるのではないでしょうか。 そんな途方もない「野心・野望」を抱いての出発でもあるのです。

 そして二〇一八年一月、明誠舎の早春セミナーで講演を依頼。「石門心学と梅岩学は別物」というテーマであった。黒川氏の略歴は「昭和二十五年島根県生まれ。十九歳で岡山に転居。三十歳前半に石田梅岩に出会い、心の研究に着手。四十歳代中期に苦難に会い五十歳代中期に心の解放を果たす」。実体験の苦悩の中から梅岩学に巡り合い、実践修養を重ねてきた。まさに梅岩師の克己心と相通じるところがある。

敬明舎では毎月会輔を開催。私も二〇一七年七月に参加した。その日は鈴木大拙の「知性と霊性」をテーマに受講生との双方向の討議方式を採用。江戸時代の石田梅岩先生の講座もこのようであったのではないかと思わせる進行ぶりであった。講師自身の思いを押し付けるのではなく、「心の解放」「心を尽して性を知る」を重視するリーダーシップに、古くて新しい心学会輔の形式を見る思いがした。

敬明舎の今後の活動に、大いに期待したい。

(写真は黒川康徳氏=右と、2017年7月)



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