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  • 執筆者の写真大和商業研究所

石門心学風土記 第37回 美濃の国 切問舎

この度(2018年2月)の美濃の視察調査では、岐阜市・正法寺の亀山恭長舎主(満徳舎、各務郡芥見村、明治13年創立)の墓に詣でた。ここ岐阜大仏で著名である。梅岩先生の師・了雲と同じ黄檗宗であり、小林孝道住職の奥様から詳しく案内を頂いた。

同じ岐阜市には逢原舎(文化年間創設)もあり、舎主・丹羽氏祐の著書『鸚鵡問答』が県立図書館にあったが休館日(月曜日)のため閲覧はできず。

山県市の切問舎に遺る「心学舎号」など

続いて山縣郡深瀬村(現・山県市)にあった切問舎(寛政5年、1793年創設)を訪ねる。ここの創始者は林儀兵衛(謙齋)。庄屋の家系であり、現在も京都・明倫舎から頂いた舎号を始めとして各種文書が残る。子孫の当主・林真澄さんに出迎えて頂いた。舎号【写真参照】は明倫舎主の上河淇水(うえかわきすい)の書だ。

舎号の由来は『論語』子張篇よりとられている。原文、読み下し文、訳は以下の通り。

「子夏日、博學而篤志、切問而近思。仁在其中矣」(子夏が日く、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う。仁は其の中(うち)に在り」 (訳)子夏いった、「広く学んで志望を固くし、迫った質問をして身近に考えるなら、仁の徳はそこにおのずから育つものだ」(岩波文庫)。

『近思録』もここからとられており、「切問近思」は4文字熟語にもなっている。

切問舎(諸国舎号52番)設立の寛政年間は心学舎の壮年期にあたる。往時の心学の高揚感と勤勉さを象徴する舎名である。

林家の古文書、林謙齋宛の「門人証明書並に定書」には講師心得として、訪問滞留中は一汁一菜、夜具は木綿、酒宴・遊興・楽舞への同伴や金銀の貸し借りは無用と厳しく戒めており、依頼者へもその旨が伝えられていたであろう。

帰宅後、お礼状を出したところ以下の滋味あふれる返信を頂く。許可を得て一部を記す。

当主・林氏からのご返信~心学舎だと知る~

一度だけ昔、亡父から先祖が「切問舎」という塾のようなものを開き心学を教えていたと聞かされたことはあります。そして墓石にその証が刻まれている旨も聞かされました。

 しかし、それ以上のことは知らず、清水さんが来宅された折りにいろいろと教えていただき、自分の無知を恥じるとともに驚きの連続でした。岐阜市とその周辺だけで同様の“塾”がいくつかあったことも初めて知りました。

(中略)清水さんのご進言に従い「切問舎」舎号の書は軸装にして大切に保管する所存です。


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