心学全国展開の中心・三舎の一つ
修正舎は、心学舎設立の認可権を持つ心学三舎(明倫舎、時習舎)の一つであり、心学全国展開の教化活動の中心を担った。江戸時代、各地に心学講舎が設立されていったが、この三舎の印鑑(三舎印)が公認のあかしであった。
修正舎は安永二年(一七七三)に五条東洞院東入で創設される。以前はこの場所に碑が建立されていたようであるが、現在は明治四三年(一九一一)に移転した五条麩屋町上るの地に碑が建てられている【写真参照】。
心学講舎の設立年次では、手島堵庵の邸宅であった「五楽舎」(明和二年、一七六五年)に次いで、修正舎は二番目に古い。
中井利安が都講として中心をなすが、天明の大火(一七八八)で焼失。中井は大阪へ去る。一時、舎の勢いは衰えたが、道話の名人・柴田鳩翁(1783-1839)が出て興隆する。
明治に入り、心学の教勢が衰退していく中で、修正舎はその道統を守り、社団法人に改組される。
鳩翁の直系、柴田実(1906‐1997、京大文学部名誉教授)が明倫舎と修正舎の両方の理事長を長く務め、心学復興の先頭に立ち、明誠舎など他舎への支援も惜しまなかった。
現代に生き続ける心学講舎
江戸時代から続く心学講舎で、現在も定期的に心学の教えを学び続けているのは、百八十舎余りあった中で、大阪の明誠舎、京都の修正舎、倉敷の敬明舎のみとなっている。
戦後、修正舎はイセトーの小谷隆一社長(元京都商工会議所副会頭)が理事長として心学普及に勤しんだが、近年その活動は休止されていた。
二〇一〇年春、小谷達雄理事長の下に活動が再開された。現在は、イセトー本社(烏丸御池駅前)で会輔(セミナー)を開催。私も度々訪ねているが、老若男女が集う心学道場の趣だ。
尚、この場所は梅岩先生が一七二九年に塾を創始した所(開講の碑あり)からわずかに百メートルあまりの距離である。
現在の講座概要は、毎月第二火曜日、一八時~二〇時、講師は長野享司氏が「都鄙問答と東洋古典」を担当している。心学舎の伝統を維持しつつ、現代の仕事・日常生活にいかに役立てていくか、熱い会輔席となっている。詳細はHPを参照されたい。
http://shuseisha.info/
心学再興への炬火とならんことを期待する。
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