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石門心学風土記 第30回 大和の国 求仁舎

「蔵の二階に添付のような机が見つかりました。かなり貧弱な作りですが、中から木版が見つかりましたので、信憑性は高いと思います。右下署名のあたりに[求仁舎]とあります」

奈良県御所市(ごせし)在住、求仁舎の都講のご子孫からメールをいただいた。

幕末、岡本孝道の支援で求仁舎が創設

奈良県には心学舎は七舎あったが、詳しい情報は極めて少ない。千数百頁ある『石門心学史の研究』でも、各舎の掲載頁は以下の如く、一覧表に載る程度の少なさだ。明徳舎3頁、思明舎5頁、本立舎5頁、正誠舎5頁、篤敬舎5頁、求仁舎2頁、友直舎3頁。

従ってこれまで、篤敬舎を除いて皆目、見当がつかなかったが、今回、奈良県で二舎目の求仁舎に光を当てることができたことは、無上の悦びだ。

求仁舎は幕末の安政七年(一八六〇)、大和国葛城郡林村に創設された。舎主は林庄右衛門(三舎印鑑を受領)、都講は林藤内で、岡本孝道(明誠舎)の門人とある。孝道は、安政五年十月~七年五月の間に五回、林藤内宅にて講話を行っている。

江戸末期から明治にかけて心学実行者を率いた老農・中山直三が書いた『伊勢錦』(一八六五年)によると、「増作願主」名に「求仁舎 林村・油屋藤内、五百家・酒屋新次郎」とある。

御所市における心学遺品~版木・碑など~

 冒頭に書いたように、林家の心学遺品は、机、施印の版木、静坐に用いたと思われる用具など数点であったが、いずれも他では見たことのない貴重なものだ。

 なお、林家は代々庄屋を務めた。家系図は孝元天皇(第八代)から始まる。楠正成に仕え、南朝が敗れたためこの地に移転。重徳氏で五十代になる。敷地内に古墳が在り、母屋は元禄十五年(一七〇一)に建てられたものだ。

 なお、岡本孝道は御所市五百家(いうか)の出身で、林家の分家にあたるとのこと。その孝道の顕彰碑が近くの船宿寺(せんしゅくじ)にあると伺い、菅原正光住職を訪ねた。

 同寺は行基設立の真言宗の名刹で花の寺としても著名だ。坂道を上った境内正面に富岡鉄斎の書による碑が建つ。明治三五年、孝道の大教生就任を記念してのようだ。碑文には「修身惟忠惟孝 持家宜倹宜勤 此先賢格言」とある。

 鉄斎は、梅岩先生の高弟である富岡以直(法衣商十一屋伝兵衛)の直系子孫であり、若くして心学、国学、漢学、陽明学などを学び、石上神社や大鳥神社の宮司を務めた。

富岡鉄斎と石門心学との縁が深いと聞いていたが、県内で貴重な史跡が残されているとは不学を恥じる。林家とのご縁に感謝する次第だ。

写真は船宿寺境内にて。

〔参考文献〕

『石門心学史の研究』(石川謙、一九三八年)

『南葛城郡誌』(一九二六年)



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