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石門心学風土記 第24回 摂津の国 明誠舎

執筆者の写真: 大和商業研究所大和商業研究所

大丸は義商なり

1837(天保8年)、大塩平八郎の乱に際し、利を優先させていた富豪や大商人はことごとく焼き討ちにあったのに対し、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と心斎橋大丸は焼き討ちを免れた。

その心斎橋店のすぐ北側に明誠舎があった。昨年の明誠舎主催の街歩き「明誠舎巡り」の前に舎のあった場所を特定のため資料を探索し、創始者の名前を書いた地図を発見した。現在の大丸北館東側の心斎橋筋に面した場所である。

大丸の社是は「先義後利」であり、新入社員教育に際しては石門心学が教えられていた。発祥の地の京都では、四条店の開業は梅岩先生が講義を始めた同年である。店の直近に梅岩先生の講舎があり、講義創始の塗師屋町には大丸の広い所有地もあるなど深い縁で結ばれている。

今日まで心学舎の中核を担う明誠舎

 心学明誠舎は1785(天明5)年に三木屋太兵衛(井上宗甫)が、梅岩先生の高弟・手島堵庵の指導を受け、心斎橋餝屋町(かざりやまち)に創設した。全国180舎余りの講舎中、22番目である。創設地が手狭になり、1792年に博労町に移設し80年間、船場において商人のための心学舎として中核をなし、中澤道二(どうに)、上河淇水(うえかわきすい)なども度々来講するほか、明誠舎講師も各地へ巡講した。また各舎への講師斡旋も行った。

江戸時代、大坂には7舎あり、共に協調して先師の祭祀を行ったほか、市中の商家の家訓の制定・遵守、子弟・店員教育などに力を注ぎ、大坂商人が後代においても営々と栄える基盤をなした。

明治になり新学制に伴い舎の地は金田小学校に提供した。1881年に長堀橋筋に新学舎を建てる。他舎の活動が休止していく中、岡本孝道・山田俊卿らの奔走で舎の活動は活発に継続し、1905年には他舎に先駆け社団法人の認可を得た。現在、この地には大阪市により「心学明誠舎跡」碑が建立されている。その後、移転した竹屋町の舎屋は大戦の空襲で焼失したが、全国の心学信奉者の後押しもあり、戦後、活動を再開し竹中靖一を中心に例会が継続され今日に至っている。

現在は一般社団法人として、年間10回程の講座開催のほか、ホームページ・フェイスブックなどで情報発信し、京都の明倫舎、心学修正舎、亀岡市の石田梅岩先生顕彰会らとともに、心学広布に努めている。

文章は2018年2月現在。写真は大阪市中央区長堀橋筋一丁目の心学明誠舎跡碑前にて(現在の島之内一丁目、2007年2月時点)



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その思いが各所に出てきます。

一例

「商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡ぼす。商人の道を知れば、欲心を離れて仁心を以って勉め道に合(かの)うて栄えるを学問の徳とす」

(都鄙問答)

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