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石門心学風土記 第20回 播磨の国 思誠舎

執筆者の写真: 大和商業研究所大和商業研究所

天保期に創設、明治まで舎の活動が続く

天保4年(1833)、城下に柴田鳩翁、遊翁が来講。同末年に思誠舎が成る。『諸国舎号』では143番目、修安舎(尾道市、天保14年開設)の次に載る。

専属の講師は無く、大坂から原田道立、梅本魯齋、河井道美、姫路の小泉周斎、広島の奥田頼杖など錚々(そうそう)たる心学者を招いた。舎主は醤油醸造業を営む石原又右衛門、原田宗兵衛兄弟で、名字帯刀を許された名家。原田家の屋号は赤穂屋。安政2年に下川原町船本の敷地内に講舎を新築し、旧舎は藩の教諭所となる。藩・民が協調して人心の修養にあたったと推測できる。

明治初年までこの舎は継続した。なお、建物は紆余曲折があるも、2016年まで存続した。跡地は現在ギャラリー茶房「よきかな」となり、関連してギャラリーカフェ「結」がある。揖保川の龍野橋を渡った街歩きの入り口にあたる。

たつの市に保存される扁額・聯(れん)

たつの市歴史文化資料館を訪問し、「思誠舎」関連の遺品「扁額」「聯」を見せて頂いた。

扁額は、元治2年(1865)正月、藩主の脇坂安宅(やすおり)が同舎を訪れた際に揮毫したもの。老中を務めた安宅の力感溢れる筆跡だ。心学舎の扁額としてはこれまで見た中では最大・最重量のもの。武士が書いたものとしては、謙光舎(鯖江)、終誠舎(函館)がある。

学び舎の教場に掛けられた『孝経』の聯は、舎の基本理念「忠孝の道」を顕わしている。参加の受講者は、日々、これを見て日常実践に務めたことだろう。

「身體髪膚。受之父母。不敢毀傷。孝之始也。立身行道。揚名於後世。以顕父母。孝之終也。」

(身體髪膚(しんたいはっぷ)、之れを父母に受く、敢へて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始なり。 身を立て道を行なひ、名を後世に揚げ、以て父母を顕す、孝の終なり。)

たつの市の資料館に於いて心学舎の遺品が大切に保管されている状態を拝見できて感慨無量だ。播磨心学が今も光彩を放っている。

【参考文献】①『龍野市史』第2巻、②『石門心学史の研究』(石川謙、岩波書店)

【写真】「扁額」(たつの市歴史文化資料館蔵)



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(都鄙問答)

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