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石門心学風土記 第17回 信濃の国 有敬舎

執筆者の写真: 大和商業研究所大和商業研究所

信濃には12舎、中村習輔・植松自謙が広布

信濃の心学講舎は12舎あった。これを超えるのは播磨と摂津(各14舎)のみ。京都から遠く離れた信濃の舎数の多さは、二人の偉人、中村習輔(1732~1816)・植松自謙(1750~1810)の恩徳に依るところが大だ。

中村習輔は信州心学の祖と言われ、埴科郡(現千曲市)に「恭安舎」を設立し、国内外に多くの門人を有した。植松自謙は諏訪郡(現富士見町)に「時中舎」を創設し、江戸「参前舎」の舎主も務めた。

岩岡村庄屋の岩岡英信は習輔の門人となり、寛政9(1797)年頃、「有敬舎」を設立するに至る。

平成の世に心学「有敬舎」の建碑

平成9(1997)年、舎設立の二百年を記念して、安曇郡梓川村(当時、現松本市)の岩岡弘明家に建碑された。当時の写真を見ると一族70名程が集まって祝ったことがわかる。

碑の表面には「有敬舎」と「伴次郎街道」とある。岩岡家の英信(有敬舎創設時舎主)、英棟、英総の三代にわたり、私財を投じて松本から飛騨高山に通じる通称「伴次郎街道」(飛騨街道)を開鑿(かいさく)したことで知られる。

この度、岩岡弘明氏を訪ね、これまでの舎のいきさつを聞いた。岩岡家の心学関係の資料は、火災による消失などもあり、有敬舎の扁額と庭石が残るのみとのこと。

 弘明氏は私家版の『飛騨新道と有敬舎~岩岡家三代の足跡~』を発刊されておられる。

 この中に「有敬舎の御条目」が掲載されている。標題に「御高札のうつし大略~善人(よきひと)になる教え~」とある。最初の四か条を要約すると、人皆親しく奉公に精出し、家業を専らにし分限過ぎず、人の害となることをせず、博打の類は禁制とする。そして「此の教えの御しめしの御恩にて、毎日三度の御めしをいただき着物もでき、此の教えの通り背かず勤めさえすりゃ何不足なく諸道具もできる。この外に人の道はない」と断ずる。

そして心学道歌「神佛聖(かみ・ほとけ・ひじり)と御名は変われども教えは同じ人の道すじ」で締めくくられている。

後々まで村人に語り聞かせていたようだ。現代の人々にこそ、実践してほしい内容だ。

この三代の大業、心学精神と新街道の建設を後世に伝えようと平成の世になって記念碑を設立された岩岡家の方々に敬意を表し、私も及ばずながら、その伝承に幾分なりともお役に立てれば幸いである。



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