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石門心学風土記 第15回 淡路の国 大洋舎

最終更新: 2020年11月25日

国生みの地・淡路に心学「大洋舎」が設立

古事記では淡路島が最初に生まれたとある。その淡路に石門心学の大洋舎があった。

創設者は高村悠斎。「通称、米屋宗平衛、號は悠齋、字は謙光。上河淇水の門に入って琢磨を積ね、遂に当代一流の心学者と称せられまでになって帰国。教化を郷土の四方に施した。家塾を開いて心学を教えていた。高村の塾名の大洋舎をもって、心学塾名としたと考えられる。大洋舎に道友を引いて心学を談じ、藩命(徳島藩)を受けて、出でて郷村に巡講した」とある。(『石門心学史の研究』参照)

 私は悠斎の子孫・高村英之氏(東京在住)と知り合い、関連する情報を送っていただき、その資料に基づき今年二月に、大洋舎跡、悠斎の墓などゆかりの地を訪ねた。

『江井教育史』(江井小学校百周年、一九七四年刊)には、高村家の歴史、大洋舎を開いた悠斎、幹齋父子の逸話が十頁以上に亘って綴られるなど、地元の偉人として語り継がれている。同書によると、高村家は、播磨国・三木城が秀吉に滅ぼされたため、城主・別所長治の縁戚にあたる高村伝左衛門が江井浦に落ち延びて土着し、初代庄屋を勤める。以後、この地は良港として、また線香の一大産地として栄える。

高村悠斎『大洋雑話』による三聖一旨

悠斎(一七六五~一八三四)は、高村家の血を引く漁業を営む家に生まれるも、医術を学び医師となる。その傍ら石門心学に傾倒し、京都へ出て上河淇水に師事し、文化年間より心学舎を開く。詳細は上記の通りである。

悠斎は晩年に『大洋雑話』を著したことにより、石田梅岩を祖とする石門心学の教えを地域を超えて後世に伝える「成形の功徳」をなした。

悠斎の子、幹齋も医者にして儒学者となる。淡路にて初の種痘を家族に試み、以後、この地での天然痘の伝染を防いだ。これまた心学精神の実践である。更には『奇談新編』『扁鵲志志(へんじゃくしし)』を著している。また『大洋雑話』後記に、本文を引き「三聖一旨」とは神儒仏の性理を知ることであると述べている。

「大洋舎」関連地訪問を高村英之氏に報告したところ、貴重書である『大洋雑話』『奇談新編』『扁鵲志志』の原文、書き下し文、現代語訳を送って下さった。この訳を為されたのは、往来物研究者として高名な小泉吉永氏であり、これを期に小泉氏とのご縁に与っている。高村氏は先祖の志を継ぎ、現代に心学の普及を図る無私の架け橋として、光彩を放っておられる。 国生みの地に、江戸期に心学が栄え、平成の世に心学者の著書が東京で現代語訳として蘇り、令和になって私の手元に届いた。この必然を多くの人に伝えたいと、『大洋雑話』を九月から私の主宰する「松柏舎」にて輪読していくこととした。梅岩先生の魂を受け継ぐ高村悠斎の遺訓を、現代の心学普及に役立てたい。

【写真】高村悠斎の眠る八幡寺(淡路市)



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