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石門心学風土記 第9回 甲斐の国・洗心舎

志村天目、甲斐に心学を広める

甲斐(現在の山梨県)も心学が栄えた国であった。石門心学研究者の石川謙によると「美濃・信濃と並んで中部地方に於ける心学の一中心をなした」。設立された五舎を年代順に並べると次の通り。存心舎、忠款舎(以上寛政五・六年)、簡文舎、洗心舎(以上寛政十一年頃=一七九九年)、永言舎(文化六年)。

当地から講師として、志村天目(1746~1817)が出た。志村は

を学ぶ。一宮町末木(現笛吹市)の出身。石和代官の命により甲斐及び周辺各地を巡回して心学指導に当たった。

五味道久が中澤道二に学び洗心舎を開く

洗心舎を経営した五味家の祖先は、信濃・善光寺付近に居住し兵法を講じていた。川中島の合戦で武田信玄に功を認められ甲斐に移住する。書状も受けており、江戸期には帰農し庄屋を担っている。

同舎創始の五味安兵衛(道久)は江戸で中澤道二に師事し、巨摩(こま)郡荒川村(現甲府市)に洗心舎を開く。

北条玄養、志村天目を指導者として、安兵衛が資財と熱意とによって舎を維持した。

安兵衛は山梨・巨摩・八代三郡の惣代も務め、能く公益と民利を図ったため、没後、村民は神社に「世直大明神」としてその霊を祭ったという。安兵衛の弟、長次郎(道秀)は、文化年間に庄内藩に講演に赴いたとの記録がある。

文化年間に火災で7間×3間の講舎が焼失。その後、母屋をもって講舎に充て、明治初年に廃講になったようだ。

現当主に受け継がれる心学者精神

現在の当主は五味和民氏。私達の訪問を美子夫人と歓待して頂いた。心学舎子孫としての矜持を有し、いずれ邸内に先祖の遺徳を顕彰するため心学舎碑を建立したい旨の志を語られた。

古文書類など、江戸時代のものを拝見した。甲府市市史編さん委員会などが調査・整理済みである。また中澤道二の座像があり、写真と焼けた像が残されている。ただ残念なのは、大量にあった貴重な文書は水害に際し、支援の方により廃棄されてしまったとのこと。

 なお、本年は石田梅岩先生開講二百九十年にあたり、京都にて記念講演会が開催される。洗心舎に後援依頼をおこなったところ快諾され、十一月二日にご夫妻で参加申し込みも頂いている。当日の再会が楽しみである。

写真は洗心舎・五味夫妻と。

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