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心学風土記 第8回 因幡の国 成教舎

執筆者の写真: 大和商業研究所大和商業研究所

「心学の深く俗人の間に伝わり、遠く幽僻(ゆうへき)の地に行われたるを知れり。」明治の国文学者、藤岡作太郎は調査に訪れた家庭で心学本を再三見掛けた感慨を語っている。何をもって幽僻とするかは不明だが、日本全国に心学の灯がともっていたのは確かである。


鳥取市歴史博物館に今も遺る心学資料

ここ因幡(鳥取県東部)の地にも心学が栄え、今もその痕跡が遺されている。

鳥取市歴史博物館に、横山展宏学芸員を訪ねた。同館には平井家寄贈の「成教舎」関係の貴重な文書などが数十点保存されている。その一部を紹介しよう。①成教舎御三軸、②成教舎号掛け軸、③講舎利用心得、④施印版木、⑤平井翁筆跡、⑥舎印など。

①の成教舎御三軸は京都・明倫舎からの贈呈で木箱入り。石田梅岩、手島堵庵(両者木版刷り)、手島和庵の自筆書と、江戸時代末期の京都よりの拝領物として貴重な品だ。

鳥取城下に江戸時代末期に創られた「成教舎」は、平井家四代にわたり明治まで存続した。

鳥取心学の祖といわれる平井洗心は、岩井郡洗井村出身で、同郡湯村に出て製薬・売薬業を始めた。洗心は心学を明倫舎に学び、但馬の敬忠舎主の大田垣猶川を師とし、心学講話の道場「玉峰舎」を創始する。


平井洗心・洗信父子、薬業と心学の両道を歩む

没後、子息の洗信は鳥取城下の鹿野街道沿いの二階町に移住し、薬舗を構える。父の影響を受けた熱心な心学修業者で、嘉永元(一八四八)年、京都から「成教舎」が正式認可される。翌年、藩に因幡・伯耆(現在の鳥取全県)への心学道話による巡講を願い出、認可を受けている。

幕末、洗信は銀七貫(現在価値で約1千万円程度か)を積み、舎の維持資金とする一方、鳥取藩に八百両(現在価値で一千数百万円か)の永久献金を行っている。

平井家は薬業としてコレラ薬を施行し藩の表彰を受けるなど栄える一方で、心学を通じて人心の安定を図り、また藩の財政難に貢献する義商として役割も担った。

梅岩先生の「利を得るは商人の道である」の言葉の通り、稼いだ財産は利他の心を以てあまねく世の中に潤すという心学の正道を貫いた。

先祖の遺徳を受けて、洗信の子・祐昌、孫・致道(最初の衆議院議員)の代まで心学は続いており、致道は月3回の道話会を開いた。

致道が没してまだ百年が経っていない。心学の灯が、この地に再びともってほしいものだ。

梅岩書(中庸より)

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一例

「商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡ぼす。商人の道を知れば、欲心を離れて仁心を以って勉め道に合(かの)うて栄えるを学問の徳とす」

(都鄙問答)

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