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心学風土記 第5回 武蔵の国『恭倹舎』

「いつ建てたかわかりませんが、今も恭倹舎は残り、県の指定文化財になっています」。埼玉県杉戸町教育委員会の学芸員の方はそう語った。全国広しと言えども、心学舎の看板が掛かり、建物が残されている例は数少ない。

『石門心学史の研究』によると、武蔵国には心学講舎が12舎あった(うち江戸に8舎)。その中で北葛飾郡杉戸町に恭倹(きょうけん)舎は残り、行政・市民により守られている。

 大島村(現杉戸町)に宝暦5(1755)年に生まれた大島有隣(うりん)と関口保宣(ほせん)は、29歳で共に江戸心学の大家、中沢道二(どうに)の参前舎に入り、天明5(1785)年に郷里に恭倹舎を開いた。

心学史上に燦然と名を連ねた二人が同年・同村に生まれたのは奇跡とも言えよう。恭倹舎を本籍として心学に全生命を懸けた二人の偉業が、21世紀までこの舎を世に遺したのであろう。

 有隣は大島村の名主の家に生まれる。関東心学の中心を為した参前舎の年番舎主を経て、江戸の盍簪(こうしん)舎を拠点に関東はもとより、奥羽・中部・中国・四国・九州に心学を伝えた。彼は神道、朱子学を中心に倫理的・実践的な「道話」をもって人心を善業に導いた。82歳で亡くなるまで、恭倹舎にも度々戻り、心学教化の一念を捧げ、民心の安定に多大な功績を為した。

保宣は医業の家に生まれる。参前舎の副統領格になり、老年の道二を助け、留守役を務め石川島人足寄場の教諭も代行した。保宣に師事した各藩の諸侯は22名、旗本は16名に及ぶ。参前舎の道二の後継者と目されながら「私は66歳になり、母は85歳。朝夕の起き臥し、食事を共にし、九牛の一毛のようにわずかな孝養しか務められないが、母と共にいる楽しみを極めることが私の大きな歓びである」と孝心を優先。地元に帰り、恭倹舎を守り育てることを晩年の任としたのであった。

町内には、恭倹舎のほか、両者の墓、有隣塚などがある。


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