• 大和商業研究所

心学風土記(第3回)阿波の国「根心舎」

徳島県半田~心学者の子孫ここに在り~

阿波の国、徳島県は吉野川が流通の主軸となり、藍染め、陶器、和紙、織物などの産業が栄えた。

心学舎は、徳島城下に尊性舎(後に性善舎)、撫養(むや、現鳴門市撫養町)に学半舎、半田(現美馬郡つるぎ町)に根心舎の三舎があった。

このうち半田には多くの資料が残っている。根心舎は寛政5年(1793年)庄屋の篠原長久郎が大坂・静安舎の中井利安の講義に感銘を受け半田村に伝えた。その後、上田唯今、桑原冬夏、田村祐之進などが来村し、道話など講義を行った。半田は漆器の特産地。山間地ながら商業地として栄えた。

今もこの地で心学研究を続けている篠原俊次さんの心学明誠舎での講演記録「大阪心学を源流とする阿波半田の心学」が『こころをみがく三)』(心学明誠舎刊)に載っている。全国広しといえども現在、民間の心学研究者としての業績で篠原さんに優る人は寡聞にして知らない。篠原さんは根心舎の初代都講・大久保八郎兵衛から数えて五代目に当たる。家系図は氏の著書『回想の篠原直木』に詳しい。また、半田の地に遺された江戸時代の古文書を繙き、各所に寄稿せられている。


伊丹屋勝蔵など心学商人を多数輩出

半田出身者の心学実践者は数多くいるが、その代表として伊丹屋、壮保(しょうほ)勝蔵をあげる。勝蔵は十三歳で大坂に丁稚奉公、二十一歳で独立し北堀江で藍玉商を始める。一日四時間の睡眠で数十年間仕事に没頭。長者番付の常連となり、幕末には幕府の求めに応じ、多額の御用金を上納。また私財を投じて困窮者・被災者支援に力を注ぐ徳行の人であった。大阪の心学舎の協恭舎はある時期の都講全員が阿波出身者であった

数多くの心学関係史蹟がこの地域ほど遺されている例は稀である。阿波・半田の心学は、奉仕・利他の精神を実践し商業の繁栄に貢献してきた。  

心学の水脈がこの地から再び流れ出してほしい。


写真:「半田根心舎由来碑」(碑の高さは3.4メートルあり心学関連碑として日本屈指)

中央が郷土史家の篠原俊次さん。


6回の閲覧0件のコメント