• 大和商業研究所

心学風土記 第4回 紀伊の国 双松舎

最終更新: 2019年3月7日

心学が栄えた紀州藩

 紀伊の国は心学が栄えた地だ。天明3(1783)年12月に9代藩主徳川治貞の内意で道二に心学布教のために紀伊一円を自由に行脚することが許可されるなど、藩主が心学に好意的であった。なお、享保の改革を行った吉宗は5代藩主であった。

 明倫舎公認は次の6舎であった。修敬舎(現和歌山市)、亦楽舎(ゆうらくしゃ、現橋本市)、三楽舎(現紀の川市)、楽善舎(現海南市)、有信舎(湯浅町)、篤信舎(現和歌山市)。また、明倫舎の認可ではないが、高野口の双松舎(そうしょうしゃ、現橋本市)が栄えた。

また心学者として、鎌田一窓、鎌田柳泓(りゅうおう)親子、上田唯今(いこん)、入江致身、小池悟平、桑原冬夏など、錚々たる講師を輩出した。

橋本市高野口に遺る双松舎

晩秋の一日、双松舎を訪ねた。ここは橋本市商工会が「前田邸」として毎日曜日に公開している(入場無料)。前田家(屋号:辻本屋)は主として薬種業・両替商などを営み、庄屋も務めている。大和街道と高野参詣道の交差する要衝の地であり、今も江戸時代の建物(文化庁登録有形文化財)が残り、古文書や美術品を多数保存・展示している。

 初代・前田嘉助(1746~1815)は心学修業が熱心ということで、文化元年(1804)、紀伊候徳川治宝(はるとみ)より賞詞と共に『論語集解表記』を賞与され、その記録は今も残る。

 二代目文治郎も嘉助の心学を継承したが、俳諧で名を馳せ、双松舎号は師匠の松尾槐亭より贈られようである。従って石川謙『石門心学史の研究』には舎名は掲載されていない。

 三代目以降も心学精神による地域貢献は続き、六代目友次郎(1872~1935)は長く郵便局長などを勤め、その高徳は今も地元で敬慕されている。七代目、八代目は国会議員となり、当地を離れている。

 前田邸では前田泰生館長、勢田勝郭理事に長時間に亘りご案内を頂いた。心学舎跡が現存し、公開されていることに感動を覚える。多数の心学関係の貴重な資料が残されており、後世に伝えるためにも是非出版されんことを期待します。


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