• 大和商業研究所

大和梅岩力講座(第3期第9講、通算34講)を終えて

◆今月のみ初めての第三週月曜日(12月17日)でした。クリスマスを避けました。丁度、大阪市中央公会堂では、今年開館100周年でOSAKA光のルネサンス「ウォールタペストリー」を鑑賞できました。 ◆今月の『都鄙問答』(致知出版社)は、「或る人、神詣を問うの段」「医の志を問うの段」を輪読しました。また、本日の感想・意見交換では、心学を学んだ皆様の心境の変化をお聞きできました。  また講座終了後、空恭子さんのシンギングボウルの演奏で心が和みました。室内は人間学・心の浄化、屋外はイルミネーションと、二重・三重の至福の日になりました。フェイスブックには、空さん、大槻さんが詳しく写真、感想をあげていただいています。ありがとうございます。 ◆『或人神詣でを問うの段』では、国許へ帰った際に、氏神が先か、先祖の墓参を先にすべきかを尋ねています。梅岩先生は、親ならばどう思うかを判断基準とすべきであると答えています。親が亡くなっていても、その意思を想定して行動すれば親孝行となると、逝去後であっても孝心を尽すことを勧めています。 『石田先生事蹟』には、「先生、故郷へ行き給うには、かならず、宅にて沐浴(ゆあみ)し、出で給う。(中略)故郷に至りては、先づ氏神へ参詣、次に、父母の墓へ参うで後、宅に着し給へえり」とあり、自らの日常実践をもとに『都鄙問答』でも語っているわけです。 ◆『医の志を問ふの段』では子息の一人を医者にしたいとの相談者に対し、その心得を次のように述べています。現代は、患者を見ずに、パソコンばかり見ている医者もいるようですが、梅岩先生は「望聞問切(ぼうもんもんせつ)」だと語っています。 質問者に対して、誠に丁寧に微に入り細に亘り解りやすく、また当時の知識階級における学問・儒学の用語もふんだんに用い、京都の儒者にも聞きごたえのあるよう、回答しています。梅岩先生を江戸のコンサルタントだと評する人もいますが、医の道という専門外であっても、納得できる問答となっていることを、私達は本日の講座で学びました。 ◆以下、原文(一部現代かな使い・当用漢字に直しています)の一部を味わってください。 ◇『或人神詣でを問ふの段』 「都(すべ)て親の心は、子の身の上能きことを、願うものなり。親の心は、子を思うに至らざる所なし。今は父母なしといえども、此意味を得心して事(つかう)まつらば、孝行と成るべきことなり。」 ◇『医の志を問ふの段』 「人の命を惜しむを以て、我が心とせざれば、過ちの不仁多かるべし。我が命を惜しむ心を以て、病人を愛せば、過ちすくなからん。斯くのごとくせば、実に、仁愛の医者と成るべし。其仁愛を失わざれば、これ、医の恒(つね)と云うべきか」 「人の命を惜み、藥を施し、施すを以て心とし、病氣快然を以て樂とし、藥礼の事を思はず、療治すべきことなり。藥礼を思はずといえども、病家よりは、一命を頼むことなれば身分相応の謝礼は、有ることなり」  「渡世の為ならば、医者はすべき者にあらず」 「医書に、望聞問切と云うことあり。先ず、病人に望み、容態を見るを、望(ぼう)と云う。樣子を聞きて、病いを知るを、聞(ぶん)と云う。不審を問うて察するを、問(もん)と云う。脈を診(こころ)みて病いを定むるを、切(せつ)と云う」 ◆次回は1月28日(月)(18時~20時、大阪市中央公会堂)、『都鄙問答』巻之一「播州の人、學問の事を問の段」(66~79頁)を読みます。 それでは、良い年末・年始をお過ごしください。


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