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執筆者の写真大和商業研究所

『道得問答』慈音尼著 巻の一 八歳にして母に後れ夫より菩提心に志すの段④

更新日:2023年5月15日

4日目(2022年12月26日) 527頁後ろから4行目~529頁後ろから6行目


【原文】

貞純(さだずみ)親王(注1)賢の曰、「天道は、此方よりなす。人毎に、天道にまかすといふは、道なし。人事を勤め勤めて後に、天道に任すべし。人事を勤行ずして、よからぬは、ひとへに、天の罪人(つみびと)なるべし。」との給へり。

 石田先生の心ざしは、都鄙問答、齊家論を見て、しるべき事なり。自然に感應有りて、たとひ、召出され(注2)候ても、たいていにて、中々出づべき樣成る人にては、これなく、あくまで德をかくし、慎む人なり。ねがふ所は、只忠孝の道をつくして、人の人たる道を教へたく思ふ計なり。つたなきよく心などは、毫厘もなき仁也。いつの世に、かやうの人、また出づべきや、はかりがたし。依つて門弟とも、鶴の感聲(注3)を、仰ぎ願ひ奉り候へ共、誰在つて、奏聞する人もなし(注4)。感應なきは命なり。

 我等、不幸にして、病身に成り、一日一日と、日を送る内に、師むなしくなりぬ。かなしいかな。力なし。せめては、跡にて、石田先生の德を感じて、忠孝の道をつくす人も出で候はば、是を手向にせんと、おもふ心より、吾妻へ下り、先生の心ざしを、天下の人々へ、語り申さん爲に、經書、つれづれ草、謠等、少々づつ講じ申せば、表の書付を見て、男女ともに立かはり、入替りまゐり候内に、意味を聞取り、勘平先生の德を、及ばずながら、行ひ申し度思ひ感じ、寄る人も少々出で来り候所に、我等、病氣だんだんおもり、信仰の者共、苦勞にし、かれ是、醫者にかくれども、藥めぐりがたく、ある人、湯治をすすめ、箱根山へ人湯せしに、其功もなし。却つて、がいと成り行ば、湯治をすすめし人も、きのどくがり申され候。

「致すことなうして、至るものは、命なり(注5)」と、のたまへば、何うたがひの有るべきや。死してもよし、生きてもよし、天命にまかするときは、心に掛かる山の端もなし(注6)。時にまかせて居たる時、灸治然るべくよし、申す人あり。よつて、我思ふは、灸にてすゑ殺が一ツ、生きるが一ッにして、一日に七百、八百、九百、又は晝夜に千二百程も、すゑたる日もあり。先覺えしるしたる大數あげていはば、凡そ二年半ばかりに、十萬二千五百程なり其功のゆゑか、段々順快に及び、先生七回忌菩提のため、吾妻の都にて、經傳並につれづれ草、先生自作の『都郡問答』開講いたすも、有難し。

「道の行はれんとするや、命なり。すたれんとするや、命なり(注7)」と、古人ものたまへり。道に志有る人、世上のさたに、かかはるべきや。非義無道は、天、是を知る。かくれたるより、あらはるるはなし(注8)。恐れ慎むべき事なり。

 或人の曰、「世上の人々、汝を山師と云ものあり。いか成る事に候や。」

我答へて曰、「世の人々、山師といはば、山師なり。辨者といはば、辨者なり。何うたがひあるべきや。以後は恐れ慎み度事なり。」

門弟、是を聞いて曰、「抑より、講釋うけ給はり申せば、聖賢の意味深長なる所、だんだん身にしみわたり、有難く、かやうのことを説き聞かせ、人の心を直(すなほ)にし、忠孝の道をつくす教を、山師といふは、嗚呼かなしい哉」と云ふ。

我、是を聞いて曰、「孔子、君に禮をつくし給へば、時の人、へつらひものとなすと、論語にありとかや(注9)と論語で語っている。

大聖孔子の德にだも、かくのごとし。いはんや、虫の數にも入りがたき我ら、世上の評に預かる事、左もあるべき事なり。あしき評議に預かる事、誠に我が幸として、以後は恐れ慎みて、およばずながらも、君子の德に至らん事を、願ふものなり。」


【現代語訳】

貞純(さだずみ)親王が言われた。「天道は(自分の素直な心を知っているので)、自分があっての各人であり、天道に任せるということは、為すべき道ではない。人としてやるべきことは為し尽くした後に天道に任すべし。人としてやるべきことを勤めずに、好ましくないというのは、ただただ天の罪人である」。

 石田先生の志は、『都鄙問答』『斉家論』を読むことにより、知ることができる。自然体で神仏と通じていて、たとえ朝廷に召し出されようと普段通りにしていて、中々出ていくような人ではなく、あくまで持っている徳を隠し慎む人である。願うところは、ただ忠孝の道を尽くして、人に人たる道を教えたいと思うばかりであった。つまらない欲心などは、少しも持たない仁の人であった。いつの世にこのような人が、再び現れるだろうか、考えもつかない。依つて、お上が感嘆して招く声を聞きたいと、門弟一同願っているが、誰も天子に申し上げる人もいない。

神仏との呼応がないことも天命である。私は不幸にして病身に成り、一日一日と日を送る間に、師が逝去された。悲しく、力が出ない。せめてこの後は、石田先生の徳を感じて、忠孝の道を尽くす人も出てくれればと、是を餞(はなむけ)に思う心から、江戸へ下った。先生の志を天下の人々へ語り伝えるために、経書、徒然草、謡曲等を、少々ずつ講釈していたら、表の書付を見て、男女ともに入れ代わり立ち代わり、聴講に来た。講義内容を聞き取り、先生の德を、及ばずながら行いたいと思い感じて通う人も少々出てきたところに、私の病気が徐々に重くなってきた。信者(門弟)達が苦労して探してくれた方々の医者にかかったが、薬の効果が現れず。ある人から湯治をすすめられ、箱根山で人湯したが、その効き目もない。かえって害ととなっていき、湯治をすすめた人も、気の毒がった。

「招くことがなく、自然に至るところが運命である」と言えば、何の迷いもなし。死んでもよい、生きてもよい、天命に任せると定めれば、「心に掛かる山の端もなし」と歌われている通り、全く不安に思うことはない。運命を時に任せていた頃に、「灸の治療がよい」と言う人がいた。これにより私が思ったことは、灸で殺されるか、生きるか、二つに一つだと。一日に七百、八百、九百、あるいは昼夜に千二百程も、すえた日もあった。記憶に残るおおまかな数は、およそ二年半の間に、十万二千五百程であった。その効果があったのか、段々と回復し、先生七回忌の菩提のため、江戸の都にて、経書及びに徒然草、先生作の『都鄙問答』を開講することができて有難いことだ。

「道が行われようとするのも運命であり、道がすたれようとするのも運命である」と古人も語っている。

道に志の有る人は、世間の噂を気に掛けることはない。正義にはずれ、道にそむいた行いは、天がそれを知っている。隠しごとはかえって露見しやすい。畏敬の念を持ち、謙虚であるべきだ。

ある人が言った。『世間の人々は、あなたを山師(詐欺師)と言っている。それはどういうことか。

私は答えて言った。『世間の人々が山師と言うならば山師なのだろう。弁舌が巧みだと言えば、その通りだ。何の疑いも無いが、以後は畏(かしこ)まり慎みたい。』

門弟はこれを聞いて言った。『最初から講釈を受けてきたが、聖賢の内容に深い趣や含蓄があり、だんだん身に染み渡ってきてありがたく、このようなことを説き聞かせ、人の心を素直にし、忠孝の道を尽くす教えを、山師というのは、何と悲しいことか。』

私はこれを聞いて言った。孔子は「主君にお仕えして礼を尽くすと、人々はそれを諂(へつら)いだという。」

大聖孔子の徳であっても、このように言われる。いわんや虫の数にも入らない私ごときへの世間の評価は、先のようなこともあるだろう。悪しき評価を受ける事は、誠に私の幸いとして、以後は畏まり慎んで、及ばずながら、君子の徳に至ることを願うものだ。


【注】

(1)貞純親王:(生年不詳~916年)平安時代前期~中期、清和天皇の皇子。母は棟(むね)貞(さだ)王(おう)の娘。清和源氏の祖である源経基(つねもと)の父。

以下のHPに、本文の出典は『和論語』とある。

http://nobnobw7.jugem.jp/?eid=32

承久元(1219)年に清原良業(よしなり)が天皇の勅諭により編述した『和論語』十巻の書中には、次のような記述がある。

貞純親王が曰く、「天道というはおのれの直き心を知る故に、天道は此方よりなす人毎に、天道に任すというは道なし。人事をつとめつとめての後に天道に任すべし。人事をつとめずして天道の理なし。つとめ行わずしてよからぬは、ひとえに天の罪人なるべし」とある(訳文)』。

(2)召出され:朝廷へ召しだされる(『道話全集』)。

(3)鶴の感声:勅命を意味する(『道話全集』)。

(4)ここのところ(「門弟とも~奏聞する人もなし」まで)は、『都鄙問答』「播州の人学問の事を問の段」の以下の文章を想起させられる。

国を司る長より召し抱えるということになれば、自身の器量が拙いことを申し立て、先ず辞退すべきである。どうして仕えるか、仕えないかと、心を動されるのか。

「孔子曰く、之を沽(う)らんかな。我は賈(あたい)を待つ者なり。」(『論語』子罕(しかん)編)賈を待つと言うことは、士(さむらい)たる者は、礼を以って招かれることでなければ、飢えて死ぬとも、自分から出かけて、仕える者ではないということだ。

(5)致すことなうして至るものは命なり:「致す」は招く。特に招くことなくして自然にいたるものは、天命なりとの意。(『道話全集』)。

(6)心にかかる 山のはもなし:夢窓国師の歌(1275~1351)に、「いづるとも いるとも月を 思はねば 心にかかる 山のはもなし」がある。

(7)『論語』憲問第十四38(岩波文庫)

〔書き下し文〕子の曰く、道の将(まさ)に行なわれんとするや、命なり。道の将に廃せんとするや、命なり。

〔訳〕先生は言われた。「道が行われようとするのも運命ですし、道がすたれようとするのも運命です。」

(8)かくれたるよりあらはるるはなし:『中庸』第一章(岩波文庫)

〔書き下し文〕隠れたるより見(あら)わるるは莫(な)く。

〔訳〕隠しごとはかえって露見しやすい。

(9)「君に禮をつくし給へば、時の人、へつらひものとなす」『論語』八佾(はちいつ)第三18(岩波文庫)

〔書き下し文〕岩波では、「君に事うるに礼をつくせば、人以って、諂(へつら)えりと為す」

〔訳〕主君にお仕えして礼を尽くすと、人々はそれを諂(へつら)いだという。


〔写真〕慈音尼の墓碑




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