いつも「大和梅岩力講座」にお心をお寄せ頂き、ありがとうございます。今月のご案内です。
日時:3月25日(月)18時~20時
場所:「大阪市中央公会堂」地下第二会議室(大阪市北区中之島1丁目1番27号 TEL:06-6208-2002)
最寄り駅:京阪中之島線「なにわ橋」1分、地下鉄堺筋線・京阪線「北浜」3分、地下鉄御堂筋線・京阪線「淀屋橋」5分、
参加費:500円(終了後、有志にて二次会あり、北浜「南禅」3000円)
持参物:『都鄙問答』(致知出版社、城島明彦著)=会場にて販売(1,728円)
内容:「大和梅岩力講座」3年間を振り返って、『都鄙問答』解説(古田紹欽「『都鄙問答』をめぐって」)、心学の光被・余光、意見交換
先月2月は『都鄙問答』「鬼神を遠くと云う事を問の段」を輪読し、「この段で梅岩先生は何を言いたかったか、また日本の神道と中国の儒道との一致と相違について」考えました。
この段は、幾つか論点があったため、判りにくかったですね。
まず、質問者は『論語』(雍也第六)について尋ねます。論語では、「鬼神を敬うが遠ざけておく。これが知というものだ」とあるが、日本の神道はそうではない。同じ神なのに、このような違いがあるのは何故か?(『都鄙問答』致知出版社=以下致知82頁、『都鄙問答』岩波文庫=以下岩波34頁)。
「鬼神を敬して遠ざく」とは、やるべきことをきちんとしていれば(義を務める)、鬼神に頼ることはないという意味なのに、質問者はことばを取り違え、日本の神はなにくれと願い事を叶えてくれると、とんでもない考え違いをしたことから、話しの辻褄が合わなくなりました。
梅岩先生は「神は非礼を受けたまわず。然(さ)れば、非礼の願いを以て近づくを、不敬とす」といいます。(『論語』八佾、致知83頁、岩波34頁)。
願い状に「望みがかなえば鳥居を寄付します、社殿を修復します」などと書いて、それが成就したら約束を守るというのは、神に対する賄賂であるという。「心だに まことに道に かないなば 祈らずとても 神やまもらん」と北野神社のご神詠にもある(致知84頁、岩波35頁)と先生は諭します。
また、孔子は「普段からずっと祈っている」ので、重病だからといって、改めて祈ったりはしないと言いました。(『論語』述而、致知84頁、岩波35頁)。
ここにおいて、日本の神道も中国の儒道も同じことを言っているわけです。
儒教の鬼神は天地陰陽の神であり、万物を司っている。三家者(さんかしゃ、孟孫・叔孫・李孫)が、自分の先祖ではない、天子が行なう祭を行うことを戒めています。
一方で日本の神道について、梅岩先生は次のように述べています(致知88頁、岩波37頁
)。
「我が国は、伊邪諾、伊弉冉に始まり、日月星辰から地上のありとあらゆるものすべてを司り、その力の及ばないところがないので、『唯一の神国』といっているのだ。」「わが国は、中国と違って、天皇が伊勢神宮(天照皇太神宮)の後を継いで、その位についておられる。だから伊勢神宮を天皇家の先祖を祭る御霊屋といて崇め奉っている」。
そして初穂は万民から天皇家への貢ぎ物なので、国主(この場合は将軍や藩主)でも、この神事はできない(つまり新嘗祭、神嘗祭は天皇家しかできない)。
このように「自分の先祖以外の神を祭らない」という共通点もありますが、異なっているのは、日本は上記のように、天皇が伊邪諾、伊弉冉、天照皇太神宮の後を継いでいるということです。
それでは、「この段で梅岩先生は何を言いたかったか」についてです。
『都鄙問答』に目を通すと解るように、「孝の道」「武士の道」「商人の道」「禅僧」「学者」「浄土宗の僧」「神詣」「医の道」「天地開闢説」など、16段にわたり様々な分野について語っています。入っていないのは『農の道』ぐらいなものでしょうか。しかし農についても、自身の10年近い体験から、各所で触れています。
その中で、この段は「神道」について語っていることは、皆さんお気づきの通りです。中国の鬼神と日本の神とを比較して、そして最終の「天地開闢の説を譏るの段」と併せて、梅岩先生の若年時の志である「神道を広めたし」の想いが籠った段です。よく味わっていただきたいと思います。
3月で第三期が終了します。この3年を振り返り、次年度に向けての構想を述べます。皆さんからのご意見も承りたいと思います。桜の開花も間近です。ご参加をお待ちしています。
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